古琴日誌(5) 古琴と孔子

昨日も練習したのは二曲のみ。『广陵散』と『文王操』。

广陵散』は一日練習しないと、あちこちが頭から抜けてしまう。だから、ある意味、強迫観念に駆られて練習している。本末転倒の、あまりよくない状況。でも、一度弾き始めると、さまざまに変化する旋律がおもしろくて、「あ~、古琴っていいな!」と自分の世界に入っていく。

文王操』は先日、第一段の動画を撮った時には、「これ以上は学ぶのはやめよう」と思っていたのに(自己流で新曲を弾くことへの不安と、既習曲の復習をやめてしまうことへの危惧)、やはり第二段の練習を始めてしまった。旋律が「思いがけない変化」をするので、次がどうなっているのかワクワクしてつい見てしまうのだ。(しかし、むずかしすぎて、挫折しそうでもある。)

しばらくは、この二曲を練習するしかないか……。

今朝、ふと、ぼろぼろになった教則本を見て、別の曲を思い出した。孔子様の逸話がもとになっているという『韦编三绝』と言う曲。孔子様が『周易』という本を読んでいた時、あまりに何度も読んだので、製本に使ってあった紐が擦り切れ、三度も取り替えたという話が残っているそうだ。

これまでの人生で、辞書以外、ぼろぼろになるまで読んだ本って何冊あるかなぁ……。