【動画付き】『秋風詞』を弾いてみた

古琴の動画を作るのはとても大変。まず、どんなに短い曲でも、つかえずに弾くことがとてもむずかしい。すごく時間がかかる。

それに、やっと撮れたと思ってビデオを観直すと、「うまい・下手」という話の前に、「音楽」になっていない。ただの音、それも、クリアでない音の連続。情けなくなる。それでも弾き続けるのは、古琴が好きだから。

7年以上前に習った初級の曲なのに、いまだに弾けていない。どういうこと?!と、思わず自分を叱咤(しった)したくなる。

減字譜とか基礎的な技術の勉強をするには、初めの頃に習った曲を復習するのが一番いい。短くて暗譜が可能なものだと、多少余裕が生まれるから、指使いに意識を持っていくことができる。これからもそういう曲を使って、基礎を学んでいこうと思う。

古琴日誌(6) 練習をしなかった日

昨日は、とうとうほとんど練習しなかった。

かろうじて弾いたのは『文王操』。それもたった一回、夜の11時すぎに。

自分がシングルタスク人間だということが最大の原因だが、外的要因は、この時期につきものの「あれ」。確定申告用の帳簿付けだ。一年分まとめてやろうとするから、どうしても三日くらい、かかり切りになる。昨日はその中日(なかび)。

とてもがんばったから、ほとんど終わったのだけれど、朝のコーヒーを片手に机に向かったから(そうしないと、帳簿付けに取り掛かれない気がした)、日課としている中国語のリスニングも、そのあとの古琴練習も、できなくなった。

朝から晩まで帳簿付けにかかりっきりだったわけではないから、ほかの活動をする時間がなかったわけではないが、午後に一度、古琴を弾き始めたところで電話がかかってきて、そのままやめたりして、結局夜中まで古琴の前に座らなかった。

なんか、落ち着かない一日だった。

弾き初めは『文王操』

1月2日。古琴の弾き初めは『文王操』。録音、録画しようとすると緊張するから、それはやめて弾くことだけに集中した。

最近はこの曲ばかり弾いているから、初めはひどく奇妙に感じられた旋律が、だんだん心地よくなってきた。第一段だけ……と思って練習し始めた曲だけれど、現在「ほぼ暗譜」に成功している。これから大事にして、忘れないようにしなくちゃ!

大みそかと元旦の二日間、『广陵散』を弾かなかった。「こりゃいかん!」と思って2日の夜中、あわてて弾いた。大撃沈。あせっていたせいもあるけれど、いつも普通に弾けていたところが、弾けない、いつもつっかえていたところは、もちろん弾けない……という惨憺たる結果。今年はこの曲(つっかえずに弾けても30分近くかかる)の練習方法をなんとか工夫しないと!

古琴さん、今年もよろしくお願いします!

【動画付き】『文王操』第7,8段

『文王操』の練習に一区切りをつけるために、記録動画を撮った。

私にとっては本当に「なんとも不可解な旋律」で、暗譜に苦労している。教則本で4ページの曲だから、なんとか暗譜できるはずの長さだが、最初に感じた、旋律に対する戸惑いが障害になっているのか、なかなか覚えられない。

この2週間、ほかの曲は『广陵散』以外、全く練習していない。今日からはほかの曲も弾く! そのための区切りの動画。

ほかの曲がすべて忘却のかなたに行ってしまったような気がして、今、すごく不安。大掃除も気になるけれど!

 

古琴日誌(5) 古琴と孔子

昨日も練習したのは二曲のみ。『广陵散』と『文王操』。

广陵散』は一日練習しないと、あちこちが頭から抜けてしまう。だから、ある意味、強迫観念に駆られて練習している。本末転倒の、あまりよくない状況。でも、一度弾き始めると、さまざまに変化する旋律がおもしろくて、「あ~、古琴っていいな!」と自分の世界に入っていく。

文王操』は先日、第一段の動画を撮った時には、「これ以上は学ぶのはやめよう」と思っていたのに(自己流で新曲を弾くことへの不安と、既習曲の復習をやめてしまうことへの危惧)、やはり第二段の練習を始めてしまった。旋律が「思いがけない変化」をするので、次がどうなっているのかワクワクしてつい見てしまうのだ。(しかし、むずかしすぎて、挫折しそうでもある。)

しばらくは、この二曲を練習するしかないか……。

今朝、ふと、ぼろぼろになった教則本を見て、別の曲を思い出した。孔子様の逸話がもとになっているという『韦编三绝』と言う曲。孔子様が『周易』という本を読んでいた時、あまりに何度も読んだので、製本に使ってあった紐が擦り切れ、三度も取り替えたという話が残っているそうだ。

これまでの人生で、辞書以外、ぼろぼろになるまで読んだ本って何冊あるかなぁ……。

久しぶりの古琴動画

最近、練習を始める前に、『文王操』の第一段を指と心のウォーミングアップ用に弾いている。開放弦が多いし、とてもゆっくりなので、指使いや音に注意しながら弾くことができる。それで、一昨日、一度ビデオに撮って、この曲(の原曲?)にまつわる孔子様のエピソードと一緒に動画を作ってみようと思い立った。

楽譜にして一ページ足らずなのに、なかなか最後まで止まらずに弾くことができず、結局10回目でやっと止まらずに弾けた。メロディーがとても覚えにくいから、最後まで練習するかどうかはわからないけれど、現在、「好きな曲チャート」上昇中。なんといっても、大好きな成公亮老師のビデオが見られるから!

【動画付き】ある日の古琴の夜練

二年近く続いている古琴自習生活、時には疲れて、気持ちがどこかに置いてきぼりになっていることがある。そんなある日、前に見つけた浦上玉堂さんの琴譜のことを思い出し、今日はこれを弾いてみよう……と思った。

『越天楽』の旋律に歌詞を付けた「越天楽今様」と呼ばれる歌のたぐいらしいが(推測。もっと研究調査必要)、その琴譜が国立図書館のデジタルコレクションというサイトからダウンロードできた。歌詞もついていたので、いつものひょろひょろ声で歌ってしまった。楽しければなんでも大成功!……としておこう。

弾き方は完全に自己流だし、きちんと習っていない符号も出てきたので、ほかの曲からの類推で弾いた。いつか、先生に譜を見せて、きちんとした弾き方を習いたい。

 

古琴日誌 (4) ファン・ヒューリックと古琴

昨日は「一日に何曲弾けるか」という、あまり意味のない挑戦をしてみた。意味はないにしても、練習のモチベーション維持、マンネリ化防止、どんどん忘れていくことに対する危機感の喚起などの一応の口実はある。

調律は正調のまま、一応「難易度 低→高」のつもりで始めた。

『仙翁操』いつも思う。基本曲でさえきちんと弾けないのはなぜか?
『湘妃怨』弾き語りはできなかった。いつかきっと!
『酒狂』少しスムーズに弾けてよかった。
『关山月』豊かな旋律のところがどうしても「ぶつ切れ」になる。
『韦编三绝』やはり忘れかけていた。何度も練習。
『归去来辞』いい曲だなあと思う。一部記憶が混乱。
『神人畅』前半と後半の低音部が入り混じる。記憶あいまい。
『鸥鹭忘机』忘机ならぬ忘曲。全然だめ!
『平沙落雁』意外にも上の曲よりも覚えていたが、最後部だめ。

教則本の順番で行くと次に習ったのは『普安咒』だったが、これはまったく覚えていなくて、今の眼の状態では楽譜が見えず、練習すら無理だったので、正調の既習曲としては教則本最後に飛ぶことにした。このあたりでかなり疲労困憊。

『龙翔操』最近復習した曲だが記憶があいまいな箇所が頻出。
『梧叶舞秋风』少しずつ苦手意識を克服しつつある曲。でも「ぶつ切れ」。

以上11曲弾いたところで、「ギブ・アップ」。だいたいの曲は一回通して弾くだけ、あるいはそれプラス、できなかったところを2,3回練習……という程度だったが、かなり疲れた!

で、疲労回復のためにお茶を飲みながら、ウエブでファン・ヒューリックさんのことを調べた。

ヒューリックさんは1938年から駐日オランダ公使館書記官として来日、そして戦後再来日、ディー判事を主人公とする推理小説を次々発表、1965年には駐日オランダ大使として再々来日、二年後に病気のために帰国後亡くなった。

ウィキペディアによる紹介では、彼は外交官、東洋学者、推理小説家となっているが、私がはじめてその名前を知ったのは、日本における古琴「復活」に大いに貢献した人としてだった。それと同時に推理小説も書いていると聞いて、早速手に入れて読んでみた。

読んだのはかなり前なので、内容は覚えていないが、当時、興味を覚えていろいろ調べてみた。そして、この本の挿絵まで自分で描いていることとか、多言語をマスターしていたこと、江戸川乱歩とも交流があったといったことを知って、多芸多才、マルチ人間ぶりに感動した。ある意味、本当の「文人」だったのだろうと思う。

古琴を通じて、いろいろなことを学んだり、感じたりすることができる。これは古琴の大きな魅力の一つだと思う。

 

 

【動画付き】ある日の古琴の午後練

昨日の午後、基礎練習の様子をビデオに撮ってみた。レッスンをとっていた頃は、先生のお手本動画をいつも撮っていたけれど、自分が弾いているのを録音したり、ビデオに撮ったりしたことがなかった。

レッスンがとれなくなってから、それをやり始めてビックリした。あまりに音が悪くて、手の形が汚い。先生からはあまり注意されなかったのだけれど、2年近い自習の間に変な癖がついてしまったのか? あるいはもともとそうだったのか(たぶんこっち)!

それに、新曲の独学をやってみて、減字譜をまともに読めないことにも気が付いた。そこで、昨日は減字譜の(中国語の)読み方を確認しながら練習した。

練習事項が盛りだくさんで、あっという間に時間が経って、基礎練習だけで午後錬が終わってしまった。

 

古琴日誌 (3) 夏目漱石と古琴

昨夜観た動画に気になるものがあって、今朝起きてすぐから、ずっとそれにかかりきりになっていた。気が付いたら正午。午前中の練習をすっぽかしてしまった。その動画に関する「調査・研究」ははかどったが、練習は完全に出遅れた。

そして、やっと午後2時過ぎになって『广陵散』の通し練習開始した。そういえば、昨日、この曲を練習していなかった。気を引き締めて弾こうとしたが、忘れている箇所がいくつもあり、楽譜を確かめながら一度弾いただけで、疲労困憊、要休憩。

そのあと、『仙翁操』を丁寧に弾く練習をした。減字譜もまじめに読んでみた。何年も弾いているのにまだまともに読めない。それから、最近始めた『湘妃怨』の弾き語り練習。譜面に歌詞を書き込んだ。でも、老眼でよく見えない……。読めるところだけ歌って、「弾き語り気分」を味わうだけに終わった。

夜の練習で『流水』の復習を始めた。2年くらい前、古琴の「考級試験」の課題として選んだ2曲のうちの一曲。今思い出しても恥ずかしい「撃沈の曲」だ。出だしを何度か間違えたところで、先生から「好」と言って止められた。つまり、右手をぐるぐるかき回すように弾く特徴的な部分まで行きつくことすらできなかった……。試験結果は「及第」ではあったけれど、ぎりぎり。反省!

今日、ふと思い出したのは、夏目漱石と古琴の話。確か陶淵明の逸話にある「無弦琴」にまつわる縁だった……というところまで思い出したが、それ以上の記憶がなく、ウェブを検索した。

あった! 明月和尚(1727-1797)という人(名筆として有名だったらしい)が書いた「無弦(絃)琴」という書。漱石は世俗を超えた境地を意味するこの言葉を気に入り、自宅の「漱石山房」に掲げていたそうだ。それに、『吾輩は猫である』中の「無絃の素琴(そきん)を弾じ」という文章を始め、古琴は作品にいくつか登場するらしい。遠い昔、漱石を読んだときには、まったく気にも留めなかった一文。たぶん今読んだら、「わぁ、陶淵明の無弦琴だ!」と感激しただろう。

写真に著作権があると思うので、参考ウェブサイトのリンクのみ:https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-72925.html