ちょっとブタさんに見えないかもしれないけれど、中国風に言うと、今年の干支は「猪zhu1」(ブタさん!)。本当は3Dアート用の泡は、しばらくミルクが落ち着くまで待たなければいけないのだけれど、最初に未練たらしくハートを試みようとしたので、待たなかった。だから泡がやわらかすぎて、豚さんの丸い顔がしっかり、もっこり丸くなってくれなかった。今日も疲労がひどいけれど、このブタさんの笑い顔を見て、がんばるよ!
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
体調悪いのですが、ウェブサイトのリニューアルをまた考えています。
今は疲れていて、ただ眠りたい。
よいお年をお迎えください
今年も余すところ6時間余(シンガポール時間)となりました。
今年も本当にいろいろとお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
みなさま、よいお年をお迎えください。
『コンピューターってどんなしくみ?』誠文堂新光社
「子供の科学★ミライサイエンス」というシリーズのうちの一冊。小中学生を対象に科学をやさしく説明するシリーズ。前に当ブログ紹介した『10代からのプログラミンンぐ教室』よりもさらに文章もやさしく、さらにわかりやすい図解付きだから、文系シニア女子にも楽に読める! コンピュータの中身のハード的な構造から、それぞれの部分の役割、コンピューターの基本原理である二進法など、ふむふむと納得。インターネットの歴史とか仕組みも、へえそうだったんだ! ただし「プロトコル階層構造」というのと「暗号で情報を守る仕組み」は何度読んでもよくわからなかった……。
これから何か新しいことーーとくに、苦手な理系のことーーを学びたいと思ったら、こういう子供向けの本がぴったりかもしれない。このシリーズには『プログラミングでなにができる?』という本もあって、少し調べてみたら、実際にプログラム言語を使って簡単なプログラムを作ってみるらしい。怖いもの見たさでちょっと読んでみたい気がしないでもない。
古琴曲『韦编三绝』
大昔の中国の書籍は、牛の革ひもを使って、細く切った竹の冊をつないだものだった。韦编三绝(wei2 bian1 san1 jue2)は、そのひもが擦り切れて何度もつけかえるほど本を読むという意味。孔子が『周易』という本を読んでいたときの逸話が、『史記』の中に見える。孔子さま、どれだけ読書が好きだったの!と感動する。
古琴曲はこの孔子の故事に基づいて作られたもので、清の時代の初期に作られた『琴書千古』という本に取り上げられている。初めてこの曲を聴いたとき、最初の三音が『君が代』の最初の三音と同じで「わぁ!」と思った。そして、君が代を古琴で演奏するというのもいいのではないかな…と思った。でも楽譜が見つからない。日本の曲で古琴の楽譜らしきものを見つけたのは、いまのところ『越天楽』だけ。それもどうひいたらいいかわからない。いまだに謎のまま。
youtubeにはあまりこの曲があがっていないので、ちょっと苦労して見つけたのが下のリンクです。個人的にはもう少しゆっくり弾いたもののほうが好きなのですが、この映像を見ると、古代中国の「本」や図書館?がどんな様子だったか垣間見ることができておもしろいので、ご紹介します。
今日の希望の光
今日は夜になって、すごくつらいことがあったのだけれど、今、それを吹き飛ばしてくれるようないいことがありました。娘のように思っている友達に、クリスマスにプレゼントしたお古のピアスを喜んでもらえたのです! お古なんていやかなぁ…とか、とても心配していたのですが、快く受け取ってもらえて、うれしかった! それに、私の気持ちをとてもよくわかってくれて、すごくすごくうれしい。感じる心を持った人ってまだいるんだ! 人間も捨てたものじゃないかもしれない。そんな希望を持たせてくれた友人に感謝!
ブログ101件目
昨日の超簡単カプチーノもどきに関するブログが記念すべき!100件目だったのに、それに気づかず書いていた。ロボットさんのアクセスばかりで「くさっていた」から、多少「もうどうでもいいや」気分になっていたのかもしれない。今日のこれまでの訪問者数は12名。内訳はあいかわらずfrontpageとConceptが多いけれど、いくつかは誰かに見てもらえている…そう信じてアウトプットを続けます。それに、もしかして、Count per Dayにいろいろ設定したのが効果を発揮し始めて、ロボットさんは排除されるようになったのかもしれないし…。
意外にアートっぽい超簡単カプチーノもどき
またミルクボトルに残ったミルクをただ振って泡を作って、インスタントコーヒーに乗せるという「超簡単カプチーノもどき」を作った。すると、今回はなんと、ラテアートの「丸」っぽいものができたのでびっくりした。そして、飲む前にスプーンでかきまぜたら、アートっぽい模様が現れて二度ビックリ。ま、二つの色の泡が混ざれば、こういうことになるのはあたりまえなのだけれど……。泡が荒くてどんどん消えていくから、あわてて写真をとった。あまったミルクをボトルのまま振るだけでちょっとしたカプチーノ気分が味わえるのだから、楽しい。泡だて器を使った「コーヒーデコ」はハートが描けないことで挫折。いつか成功したらまたご報告します!
ロボットアクセスありすぎの件
うむ。昨日はアクセスカウンターで200人以上のアクセスが記録されて、さすがこれはもう無駄、と思った。ロボットをカウントしてどうする! このCount per Dayというプラグインには「一日あたりの訪問者数」というのがあって、その日訪問のあったページの内訳がわかるようになっている。当サイトの場合、そのほとんどがConceptあるいはfront pageなので、ロボットさんに違いない。そのほか個々のページへのアクセスは数件のみ。で、これはだいたい自分かな(自分のアクセスは排除するという設定にしてあるつもりだけれど)? あとは中国語をチェックしてくださる〇・チ先生! (本当にいつもありがとうございます。)「アウトプットすることにこそに意義がある」という初心(?)に戻って、こつこつ書いていきます。
帰りなんいざ!『归去来辞』
日本でも有名な陶淵明(AD365-427)が書いた『帰去来の辞』という詩に基づいて作られた古琴曲。
陶淵明は10余年、官職についていたが、41歳の時、公職を退き故郷に戻って、その後二度と公の舞台には上がらなかった。その人生の転機のきっかけについては、詩の序文に、「役人としての生活は自分の理想には合わないと思っていたところに、妹が亡くなったので、その喪に服することをきっかけに辞めた」、といったことが書かれている。
一方、いろいろな人物の逸話を集めたある本には、最後の県令の職にあったとき、地元の小吏を束帯の正装で出迎えるよう命令されて、「すずめの涙のような給料を得るために、小者なんぞにへつらう気はない」といった内容(だいぶ意訳しています…)のことを言って、さっさと故郷に帰ってしまったとあります。話としてはこちらのほうがおもしろい。陶淵明ならありそうな話……ということで伝えられたのだろう。
古琴に話を戻すと、この曲は詩と切り離すことのできない曲だと思う。「さあ帰ろう(帰りなんいざ)」という言葉で始まり、最後は「天命を受け入れた今、もはや何の迷いもない」いった達観の境地で終わる。詩の中にはもちろん古琴も登場する。「琴を奏で書を読めば、憂いは消える」。陶淵明と古琴ついては有名な「無弦の琴」の逸話があるが、それはまたの機会に。
下のリンクは動画ではありませんが、管理人が大好きな大先生の演奏です。成先生がこの曲の最初の部分を歌っていらっしゃる動画(!)がbilibiliという中国の動画サイトにありましたが、リンクできませんでした。どうか、「归去来辞 成公亮」でサーチしてみてください。(私はとても感動しました……。)
(続報20210205)リンクしたかった動画がYouTubeにもあがっているのを見つけました。ぜひごらんください。
(続報20221028)自分でも挑戦してみました! 歌は大好きなのですが、下手くそ……でも、古琴を弾きながら歌っていると、とても楽しい☺!