意外にアートっぽい超簡単カプチーノもどき

またミルクボトルに残ったミルクをただ振って泡を作って、インスタントコーヒーに乗せるという「超簡単カプチーノもどき」を作った。すると、今回はなんと、ラテアートの「丸」っぽいものができたのでびっくりした。そして、飲む前にスプーンでかきまぜたら、アートっぽい模様が現れて二度ビックリ。ま、二つの色の泡が混ざれば、こういうことになるのはあたりまえなのだけれど……。泡が荒くてどんどん消えていくから、あわてて写真をとった。あまったミルクをボトルのまま振るだけでちょっとしたカプチーノ気分が味わえるのだから、楽しい。泡だて器を使った「コーヒーデコ」はハートが描けないことで挫折。いつか成功したらまたご報告します!

ロボットアクセスありすぎの件


うむ。昨日はアクセスカウンターで200人以上のアクセスが記録されて、さすがこれはもう無駄、と思った。ロボットをカウントしてどうする! このCount per Dayというプラグインには「一日あたりの訪問者数」というのがあって、その日訪問のあったページの内訳がわかるようになっている。当サイトの場合、そのほとんどがConceptあるいはfront pageなので、ロボットさんに違いない。そのほか個々のページへのアクセスは数件のみ。で、これはだいたい自分かな(自分のアクセスは排除するという設定にしてあるつもりだけれど)? あとは中国語をチェックしてくださる〇・チ先生! (本当にいつもありがとうございます。)「アウトプットすることにこそに意義がある」という初心(?)に戻って、こつこつ書いていきます。

帰りなんいざ!『归去来辞』

日本でも有名な陶淵明(AD365-427)が書いた『帰去来の辞』という詩に基づいて作られた古琴曲。

陶淵明は10余年、官職についていたが、41歳の時、公職を退き故郷に戻って、その後二度と公の舞台には上がらなかった。その人生の転機のきっかけについては、詩の序文に、「役人としての生活は自分の理想には合わないと思っていたところに、妹が亡くなったので、その喪に服することをきっかけに辞めた」、といったことが書かれている。

一方、いろいろな人物の逸話を集めたある本には、最後の県令の職にあったとき、地元の小吏を束帯の正装で出迎えるよう命令されて、「すずめの涙のような給料を得るために、小者なんぞにへつらう気はない」といった内容(だいぶ意訳しています…)のことを言って、さっさと故郷に帰ってしまったとあります。話としてはこちらのほうがおもしろい。陶淵明ならありそうな話……ということで伝えられたのだろう。

古琴に話を戻すと、この曲は詩と切り離すことのできない曲だと思う。「さあ帰ろう(帰りなんいざ)」という言葉で始まり、最後は「天命を受け入れた今、もはや何の迷いもない」いった達観の境地で終わる。詩の中にはもちろん古琴も登場する。「琴を奏で書を読めば、憂いは消える」。陶淵明と古琴ついては有名な「無弦の琴」の逸話があるが、それはまたの機会に。

下のリンクは動画ではありませんが、管理人が大好きな大先生の演奏です。成先生がこの曲の最初の部分を歌っていらっしゃる動画(!)がbilibiliという中国の動画サイトにありましたが、リンクできませんでした。どうか、「归去来辞 成公亮」でサーチしてみてください。(私はとても感動しました……。)

(続報20210205)リンクしたかった動画がYouTubeにもあがっているのを見つけました。ぜひごらんください。

(続報20221028)自分でも挑戦してみました! 歌は大好きなのですが、下手くそ……でも、古琴を弾きながら歌っていると、とても楽しい☺!

酔わずにいられない『酒狂』

三国時代魏の国の詩人、「竹林の七賢」の一人阮籍(げんせき)(210-263)が作った古琴曲。その成立には諸説ありますが、その一つによると――当時、魏国では政治が乱れ世の中には暗澹とした空気が蔓延していました。阮籍は政府に大きな不満を持っていましたが、政府批判などしたらすぐに殺されてしまうような状況です。そこで彼は酒を飲み、酔いつぶれ、酒の上でのたわむれ事のように装って、ひそかに不満をこぼしていた……。またもう一説には、自分が反政府分子としてとらえられるのを避けて、山にこもり、酒を飲み、古琴を弾き、歌を歌っていやなことを忘れるようにした、とも言われています。阮籍のこのような複雑な思いを考えると、繰り返される低音、全体的に感じられる不安定感、そんなものが大切な意味を持っているように感じられてきます。決してただの酔っ払いの曲ではないので、要注意!

下のリンクは動画ではありませんが、この曲の成り立ちを思いながらじっくりと聴いてみたい古琴大家の演奏です。

惜別の曲『阳关三叠』

書画に秀で、琵琶の名手でもあった多才な詩人、王維(699?-761)の『送元二使安西』という詩(七言絶句)をもとに、唐の時代に作られた曲です。陽関は西部の僻地へと旅立つ人を見送る関所。そこで最後の夜に別れの宴を共にするのがならわしだったそうです。「三畳」は三度繰り返すの意味ですが、なぜそう呼ばれるかには諸説あるようです。確かに古琴曲は三部に分かれていますが、もとの詩も第二句以下を三度繰り返す、あるいは最後の「陽関」を含む句を三度繰り返す、などの習慣があったようです。当サイト内のabout guqinの最後に動画へのリンクがありますので、古琴独奏、弾き語りの二つを聞き比べてみてください。

また当サイト管理人は弾き語り練習用に、歌詞を画面に表示する形で「カラオケ風動画」を作っています。よかったらそのブログもご覧ください。(20210708)

 

iPhoneからWPを使う実験

iPhoneでwordpress がつかえるようになった?

おお! できた! 実は上の一行はiPhoneから送ったもの。以前、iPhoneでWordpressを使えるようにしようと思って、そのためのアプリをダウンロードしようとしたが、行き詰ってやめた。それが、先日、Wordpressから送られてきた「モデレートしてください」(前のブログ参照)というメールをiPhoneで読んだあと、そのメール上のリンクから何とかしようとしていたら、Wordpressのログイン画面が現れた。それでパスワードとか入れてみたら、なんとソフトが開いて、モデレートのことだけじゃなくて、記事の投稿もできるようになった。長い文章を書くのはiPhoneだとめんどうだけれど、このログイン画面、リンクを保存したのでこれから使えるかも!

『稻草人的手记』から『見守る天使』(抄訳)

翻訳権の問題があるから、全文を訳すことはできないけれど、とても好きなお話なので抄訳を紹介したい。若くして亡くなった、三毛という台湾の女流作家さんの小品。この作品の収められた本は訳されていないけれど、別の本は邦訳があるーー『サハラ日記』(筑摩書房)。

見守る天使

12月も20日を過ぎたころ、近所の坊やが厚紙で作った天使をくれた。
「でも本物じゃないよ。天使は本当はいないんだ」
「あら、いるわよ。私にだってずっと前に二人いたわ」
「いまはどこにいるの?」
「遠い空の上」
「天使と一緒だったのに、なんで離れ離れになっちゃたの?」
「その時は、天使が守ってくれてるって気が付かなかったの」
「天使は子供を守るの?」
「そうよ。子供のことが好きすぎて、泣いちゃうこともあるのよ。それでもハンカチを出して涙をふくこともできないの。翼を下ろしたら子供を守れないから。
でも、子供は大きくなると天使に言うの。『いかなくちゃ。でもついてこないで。そういうのイヤだから』」
「天使はどうするの?」
「何も言わずに喜んで送り出す。それから急いで、子供が見えるように、うーんと高いところまで飛んでいく。子供がずっと遠くに行って見えなくなったら、家に帰って泣くの」
「子供は天使のこと思い出さないの?」
「思い出すわよ。でもしばらくあとになって、天使のもとに二度と戻れなくなってから思い出すの」
「なぜ戻れなくなるの?」
「それは、自分にも翼が生えてくるからよ。翼の下には新しい子供がいて、もちろん泣きたくなることもある」
「天使になるのってつらいんだね」
「そう。でも天使にとってはそれが幸せなのよ」
「おばさんに二人の天使がいたのなら、なぜずっと一緒にいなかったの?」
「さっき言ったでしょ。戻れなくなるまで、二人が天使だったってことに気が付かなかったのよ」
「よくわかんないな」
「大きくなったらわかるわよ。いつかあなたのパパとママが……」
「パパもママも仕事で忙しくて、ぼくたちの相手をしてくれない。全然つまらないよ!」
通りの向こうから大きな声がした。「トミー、ご飯よ!」
「ほらね、一日中、ご飯、ご飯って、本当にいやになっちゃう」
トミーはぶつぶつ言いながら家に向かって走り出した。
「ぼくにもそんな天使がいたらなあ! でもそううまくはいかないよね」
トミー、今のあなたにはまだわかっていないのよ。で、いつかわかったときには、もう遅すぎるの。

超簡単カプチーノもどき

(写真を「ギャラリー」機能を使って入れてみたけれど、周りがカットされてしまった。うーむ!)

今日のカプチーノもどきは百均の泡だて器すら使っていない! 今朝はミルクが少ししか残っていなかったから、泡立てるのはあきらめてインスタントコーヒーを作った後、ふと思いついて、ミルクのボトルを振ってみた。半信半疑だから適当に振って、外から見てなんだか少し量が増えたかなあ、というところでコーヒーの上に注いでみた。そうしたら、カプチーノもどきができた! 泡が荒くてどんどん消えるから、あせってスマホを探して写真を撮った。もっと長時間振ったらもしかしたらもっとしっかりした泡ができたのかもしれない。次回は意識的に(今回は毎日の消費量の配分を間違えて、少量残った)少しだけ残して、やってみようかな?

 

一日の訪問者数最高記録!?

今日はまだ始まったばかり(9:40am)だというのに、いろいろなことが起きた。

まず、さっき、昨日のサイトの訪問者数を見たら、これまでの最高を記録していた。ブログにも書いたように、昨日の午後、エクスプローラーの「ロボット」さんらしいアクセスを「数えない」という設定にした。あれは関係なかったのか? でも、あいかわらずフロントページ以外のページの閲覧はほとんどないから、やはりロボットさんかなぁと思う。よくわからん。


実は二日ほど前、メタディスクリプションというのをいくつかの記事につけてみた。「適切な検索にひっかかりやすくなる」仕組みらしい。これもよくわかっていないまま、やってみた。もしかしたらそのせいで訪問者数が増えた? 本当によくわからん……。

もう一つの大事件はWordPressから、「モデレートしてください」というメールが来たこと。調べたら、要するに、「記事にコメントが送られてきたので、それを処理してください」ということらしいが、モデレートって? moderateの動詞の意味は「調停する」とウェブ辞書には書いてあったけれど……。ま、それはともかく、いつものように、あせりまくりながらウェブ検索、結局そのコメントはスパムみたいだったので、ゴミ箱へ。なるほど、記事にコメントが記入されるとこういうことになるんだ! 大発見! 本当に暗中模索、試行錯誤の連続です。

もう一つの事件はコーヒーデコ関連なので「食」のカテゴリーに書きます。いずれにせよ、この記事、長すぎ。

総ロボット訪問数2000件突破?

いや、やはりどうみてもCount per Dayの総訪問者数(ブログのサイドバーの下の方に出ています)の大半はロボットだろう、ということで、Xserverが提供しているアクセス解析の中で、「ロボット」と認識されていて、1800件越えのアクセスをしているMSIE[ ]6(エクスプローラ・ヴァージョン6?)というのを、Count per Dayの設定の中の「数えないbot」というのに追加してみた。これで訪問者数がぐっと減れば、やはりこのロボットさんの訪問だったとわかる?…のかな? 本当をいうとよくわからない。エクスプローラーを使っている人が何か検索した場合、このロボットさんが走りまわって探す…とかそういう仕組みになっているとしたら、「人の訪問」になるわけだから。その辺の仕組みが全然わかっていない。でも現在、フロントページの訪問者数(ロボットさん含めて?)がかなり多いのに、ほかのページの訪問・閲覧数はほとんど数えるほどだから、やはりほとんどがロボットさんと考えるのが正しそう。こういうのおもしろい。とりあえず明日また訪問者数というのをチェックしてみよう。