【動画付き】折り紙ミニチュア日本庭園(箱庭)

先日、「折り紙人間」の動画へのコメントで、折り紙で箱庭を作ってみたいといった主旨のものがあった。ミニチュア好きとしては見逃せないアイディア!

早速ウェブ検索をかけて、折り紙で橋を作る方法を発見💡! ちょっと複雑だったので単純化したら、7.5センチ幅の川にぴったりの橋ができあがった。以前に作った石灯籠などを並べたら、何だかそれらしい庭になってうれしくなった♪

折り紙で岩を作る動画は、どれもくしゃくしゃと丸めるだけでどうも納得がいかない。これも適当に目分量で折る「ぐらい折り」、「ぐらい潰し」なので同罪ではあるけれど、少し折り紙らしく見えるかも……。

【動画付き】折り紙でシンガポールの国旗

久しぶりに折り紙動画をYouTubeに投稿した。

来週末に迫ったシンガポールのお誕生日をお祝いする気持ちを込めて折った。第二の故郷となったこの国が、これからも末永く、平和な国でありますように!

ついでに、だいぶ前に紹介した折り紙マーライオン動画も再紹介。

【動画付き】iPhone(写真グリッド)で複数の写真をまとめる

【2025.7.26に動画追加、更新したブログ】
以下の動画はどれも、アナログ文系シニア女子が方法を忘れないように、覚書として残した動画です。その点ご了承の上ごらんください。

◆4枚の写真を正方形にして2x2で並べる方法
(2024.11.4にアップした動画)

◆8枚の写真を正方形にカットして4x2にまとめる方法
(2025.5.9にアップした動画)

◆長方形の写真をもとの形に近いまま結合する方法
(2025.5.18にアップした動画)

◆Keynoteを使った写真結合・コラージュの方法
(2025.1.2にアップした動画)まだKeynoteの使い方がわかっていない💦

◆以下は2022/11/4のオリジナルブログ(一つ目の動画のやり方を文章で書き留めたもの):

【自分のための覚え書き】iPhoneショートカット「写真グリッド」で6枚の写真を、縦2行横3列のグリッド内に並べる方法。(iPhone14plus iOS17.6.1)

「写真グリッド」というショートカットを使えるようにする。
(すでに使えるようにしてあったが、どのようにしたかは記憶になし。以下は推測に基づく。)
iPhone のショートカットのアイコンを開いて、右下の「ギャラリー」を開いて「検索」に「写真グリッド」と入れて検索。出てきたアイコンをタップしてから、「ショートカットを追加」をタップ。そうするとおそらく😭、「マイショートカット」の中に「写真グリッド」ができる。

縦2行横3列のグリッドを作る(設定を変える)
「写真グリッド」という緑のアイコンの右上の〇(の中に3つ点が並んでいる)を押して、詳細設定の欄を表示する。
→下にスクロールして一つ目の「田」の欄(x行を□に……)の□に「横方向」を選ぶ。(デフォルトがなんだったか忘れた💦)
→さらに下にスクロールして次の「田」の欄(x画像を□に……)の□に「縦方向」を選ぶ。(デフォルトがどうなっていたかは忘れた。)

この設定で、なぜかグリッドができる……。以前設定をまったくいじらずに2枚選んだときは、横に二枚並んでいた。

【未解決】これで6枚選ぶと縦二行横三列のグリッドになるが、8枚選ぶと3x3の枠の9枚目は空欄になる。8枚を2x4などにするには設定を変える必要があるようだ。これは今後の課題……。縦横の行列の数を自由に設定する方法はまだわからない

並べたい写真を選んで、まとめた写真を保存する。
上の「設定画面」の右下の▶をタップする(あるいは設定のあと、「完了」を押した場合は「写真グリッド」のアイコンをタップする)、とアルバムが出てくるので、並べたい順番に写真を選択して、右上の「追加」をタップ。少し待つと「イメージ」が出てくる。

【注意】写真を選んでいる時、一番下に選んだ枚数が出てくるので、確認しながら選ぶ。指がふれて、意図しない写真を選んでいることがある!!

→左下の「エクスポート」みたいなアイコンをタップして、「画像を保存」を選ぶと「アルバム」に保存される。

設定をもとに戻したい場合は上記①の手順を最初からやり直して、「ショートカットを追加」を押した後、「すでにあるけれど、置き換えていいか?」みたいなことを聞いてくるので、「置き換える」を選ぶと、白紙状態(デフォルト設定?)になる。

「写真グリッド」はあくまでも、その場で写真をコラージュしてくれる感じで、自動的にはどこにも保存されないみたい。だから自分でアルバムに保存する。

以上、今日午後、3時間!かかって発見したこと。疲れた😞。

Mちゃんへ

Mちゃん、Mちゃんの作品展を開くことに決まったよ。遺作展ってなるのかな? とてもさびしい。元気だった時に実現できたらよかったのにな。

もう半年経ったんだね。もっとMちゃんと遊びたかったって、何度も思う。遠くに住んでいたから無理だったのだけれど。

今、うちにはMちゃんの物がたくさんある。大昔に借りたきりのビデオ。返そうかって聞いたら、もういいよって言われた気がする。だからそのままになってしまったのだけれど。寅さんなど、Mちゃんが好きだった映画の録画版。今も覚えているイタリア映画『ノスタルジア』。すごかったよね!

それから、遺品としてもらった、ギター二本とウクレレ。これからどれだけ弾けるかわからないけれど、見るたびにMちゃんを思い出すよ!!

Mちゃんの写真展の準備の手伝い、できることはなんでもしたいと思っている。時期によっては、実際に見に来れるかはわからないのだけれど。心と身体の調子次第なんだ…。来れたらいいな。

火曜日から猛暑が続いている。でも、今日はがんばって外出して、友達と外でお昼を食べる。見守っていてね。Mちゃんの分も、おいしいお蕎麦を食べるから。天せいろでいい?

じゃ、またね~

C’est beau la vie 歌詞訳(意訳)

C’est beau la vie 人生は美しい

Le vent dans tes cheveux blonds
Le soleil à l’horizon
Quelques mots d’une chanson
Que c’est beau, c’est beau la vie

君の金髪を揺らす風
地平線の太陽
歌の中のいくつかの言葉
なんて美しいんだ、人生は

Un oiseau qui fait la roue
Sur un arbre déjà roux
Et son cri par dessus tout
Que c’est beau, c’est beau la vie.

赤枯れた木の上で
羽根を広げる鳥
その鳴き声はとりわけすばらしい
なんて美しいんだ、人生は

Tout ce qui tremble et palpite
Tout ce qui lutte et se bat
Tout ce que j’ai cru trop vite
A jamais perdu pour moi

震え胸躍らせるものすべて
もがき戦うものすべて
永遠に失われたと
あわてて思い込んでしまってたものすべて

Pouvoir encore regarder
Pouvoir encore écouter
Et surtout pouvoir chanter
Que c’est beau, c’est beau la vie.

また見ることができる
また聴くことができる
それに何といっても歌が歌える
なんて美しいんだ、人生は

Le jazz ouvert dans la nuit
Sa trompette qui nous suit
Dans une rue de Paris
Que c’est beau, c’est beau la vie.

夜中のジャズセッション
パリの通りで
僕らについてくるトランペット
なんて美しいんだ、人生は

La rouge fleur éclatée
D’un néon qui fait trembler
Nos deux ombres étonnées
Que c’est beau, c’est beau la vie.

輝く赤い花のような
ネオンが僕らを震わせる
驚いている僕らの二つの影を
なんて美しいんだ、人生は

Tout ce que j’ai failli perdre
Tout ce qui m’est redonné
Aujourd’hui me monte aux lèvres
En cette fin de journée

僕が失いかけたものすべて
僕にもう一度与えられたものすべてが
今日、唇から歌になってあふれ出る
この一日の終わりに
Pouvoir encore partager

Ma jeunesse, mes idées
Avec l’amour retrouvé
Que c’est beau, c’est beau la vie.

また分かち合うことができる
僕の青春、僕の想いを
よみがえった愛と分かち合う
なんて美しいんだ、人生は

Pouvoir encore te parler
Pouvoir encore t’embrasser
Te le dire et le chanter
Oui c’est beau, c’est beau la vie.

また君に話すことができる
また君に接吻することができる
君にこう言えて、こう歌える
そう、なんて美しいんだ、人生は

Mちゃん またいつかね

Mちゃん、やっぱり今私がいるこの世界からはいなくなっていたんだね。私は今のところ、量子力学で言うところの「コペンハーゲン解釈」ではなく「多世界解釈」を信じているから、Mちゃんが別の世界で元気でいることには疑いは持っていないけれど……そこに別の私がいるかどうかはまた別の話。

またいつか、どこかで会おうね。というか、さっき言ったように、今この瞬間も、どれかの世界で、まだMちゃんと同じ世界を共有しているのだと信じているのだけれど。これからずーっと先、私を構成しているものたちの寿命が来て、私もゼロフィールドの中に取り込まれる時、み~んな、一緒ごちゃになるんだよね。きっと。

自分でも何を言っているんだか、わからない。すごくショック。覚悟はできていたし、多世界解釈ならば「人は(物理的寿命が尽きるまで?)死なない」ということなのだと、勝手に考えていて、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせているのだけれど、そんな頭の中だけの操作ではうまくいかないね。Mちゃんがいなくなってさびしい。ここ数年は声を聞くだけで会ってもいなかったのにね。

M兄ちゃん、またいつか、きっと会おうね。

クレヨン画(38)(39)

2024年12月に描いて、ブログに残すのを忘れていた二枚。

一枚目は久しぶりに百均のクレヨンを手に取って描いたいたずら描き。

普通のツルツルのコピー用紙に描いたせいか、クレヨンがうまく紙につかなかった。ちゃんとした画用紙に描けばよかった……。

二枚目は、いつものようにYouTube動画を観ながら描いた「霧に包まれた夕暮れの道路」の絵。構図が少し変わってしまったけれど、霧を描くのは楽しかった♪

このほかのクレヨン画、色鉛筆画を集めた「なんちゃってギャラリー」はここ

写真に撮ると、絵の印象がまったく変わってしまうことがある。さらに、小さい絵だと、ピントを合わせるのがとてもむずかしい。要研究!!

色鉛筆画(3)-(6)

色鉛筆で描くミニチュア画は意外と時間がかかることが分かった😲

今回の一枚目は、40年ほど前の色鉛筆60色セットの試し書き。足りない色が3本あったので、来月上京の折に入手予定、。

2枚目は大好きなベックリンの『死の島』の模写。前にクレヨンで描いたものとは違うバージョンで、おそらく同名の絵の中では一番最初に描かれたもの。ミニチュアでは、棺を運ぶ小舟がかなり大きくなった。

3枚目はアンリ・マチスの『赤の部屋』。最近初めて見たのだけれど、すごく心を惹かれた。たぶん、真っ赤な部屋と、素知らぬ顔の外の風景の対比が好きなのだろうと思う。

このあたりで、ミニチュア画は自分の好きな絵の模写をしていきたいなと思った。いつも描いているサイズのクレヨン画だと、変に本物に近づけようとするけれど、ミニチュア画だと大幅に省略しないといけないし、自分なりの解釈をしないと描けない。それがおもしろいし。第一、描いている時、すごく楽しい♪

最新作のアンリ・ルソーの『大豹に襲われる黒人』はルソー独特の植物へのこだわりをミニチュアサイズで再現しようとすると、大変なことになる。結局、二日がかりで描くことになって、「これなら大きなクレヨン画を描いた方がいいんじゃないか?」と、大きな疑問符が頭の上に浮かんだ。

色鉛筆はかなり力を入れて塗ってもすごく鮮やかな色にはならない。これまでに描いた絵も、何だかぼんやりしている。いろいろ学べば、もっと鮮やかな絵が描けるのかもしれないけれど、とにかく描いていて楽しいものを描こうというスタイルだから、これから先どうなることやら……。でも、模写したい絵はまだまだたくさんある……。どうかこのモチベーションが途切れませんように!

ミニチュア色鉛筆画は展示するかどうか迷いつつ、展示を続けているなんちゃってギャラリーはこちら

 

色鉛筆画(1)(2)

はじめての色鉛筆画。2枚描いた。

1枚目はこの間クレヨンで描いた幻想画のミニサイズ版。

2枚目はすごくわかりにくい…数年前、クレヨン画で描きたいと思ったけれど描けなかった、ベックリンの『聖なる森』風(ふう)の絵。初めは原画を見ずに、記憶で下書きを始めたので、だいぶ原画とは違うものになった。白衣姿の聖職者たちが炎の祭壇に祈りを捧げているところ(のつもり)。色鉛筆の使い方がまだわからず、色が出ない!!

そもそも、ミニチュアサイズで絵を描きたいと思って、クレヨンでは無理だな~水彩はめんどくさそうだし……などと思って、色鉛筆にたどり着いた。

初めはその辺にあった水彩色鉛筆を使って描いた。二枚目は三菱色鉛筆12色。そのあとクローゼットの中で、40年くらい前の60色の色鉛筆セットを見つけた。三本欠けているけれど、次回上京の折に入手予定。この色鉛筆セットを使って何か描けたらいいな!

この二枚も一応、なんちゃってギャラリーに展示!

Mちゃん元気でね~

Mちゃん、お姉さんと話したよ。Mちゃんが家を出たのが、二回目の介護認定審査のために病院に行く前日だったという話を聞いた。きっといやだったんだね。要介護の程度が上がって、さらに多くの他人が生活に入ってきたり、あるいは施設に入らなければならなくなったりして、プライバシーや自由が奪われるのがいやだったんだね。きっと…。

あんなに自由気ままに暮らしていたMちゃんだもの。人の言うことにはなかなか耳を傾けないMちゃんだもの。自分が生活するのを助けてくれているのだとわかってはいても、介護の人やヘルパーさんにいろいろ言われたりするのは嫌なんだろうな―と思う。

お姉さんが言っていた。下の弟は「兄さんは出家したのかもしれないよ」って言ってるって。実際にはそんなはずがないことはみんなわかっているけれど、もう数年前から坊主頭だし、テレビ番組か何かのエキストラでお坊さんの役をやったときには、般若心経を全文覚えたって言っていたし、準備オッケーだものね♪ そうだったらいいな。どこかの山寺でお坊さんになっているといいな。

どこにいようと、元気でいてね。どこにいようと、また会おうね。あのなつかしい町で会おうね。楽しい子供時代をみんなで過ごしたあの町で会おうね。温かくなったら、私も里帰りをしようと思っているんだ。また会おうね、大好きなMちゃん!