古琴日誌 (3) 夏目漱石と古琴

昨夜観た動画に気になるものがあって、今朝起きてすぐから、ずっとそれにかかりきりになっていた。気が付いたら正午。午前中の練習をすっぽかしてしまった。その動画に関する「調査・研究」ははかどったが、練習は完全に出遅れた。

そして、やっと午後2時過ぎになって『广陵散』の通し練習開始した。そういえば、昨日、この曲を練習していなかった。気を引き締めて弾こうとしたが、忘れている箇所がいくつもあり、楽譜を確かめながら一度弾いただけで、疲労困憊、要休憩。

そのあと、『仙翁操』を丁寧に弾く練習をした。減字譜もまじめに読んでみた。何年も弾いているのにまだまともに読めない。それから、最近始めた『湘妃怨』の弾き語り練習。譜面に歌詞を書き込んだ。でも、老眼でよく見えない……。読めるところだけ歌って、「弾き語り気分」を味わうだけに終わった。

夜の練習で『流水』の復習を始めた。2年くらい前、古琴の「考級試験」の課題として選んだ2曲のうちの一曲。今思い出しても恥ずかしい「撃沈の曲」だ。出だしを何度か間違えたところで、先生から「好」と言って止められた。つまり、右手をぐるぐるかき回すように弾く特徴的な部分まで行きつくことすらできなかった……。試験結果は「及第」ではあったけれど、ぎりぎり。反省!

今日、ふと思い出したのは、夏目漱石と古琴の話。確か陶淵明の逸話にある「無弦琴」にまつわる縁だった……というところまで思い出したが、それ以上の記憶がなく、ウェブを検索した。

あった! 明月和尚(1727-1797)という人(名筆として有名だったらしい)が書いた「無弦(絃)琴」という書。漱石は世俗を超えた境地を意味するこの言葉を気に入り、自宅の「漱石山房」に掲げていたそうだ。それに、『吾輩は猫である』中の「無絃の素琴(そきん)を弾じ」という文章を始め、古琴は作品にいくつか登場するらしい。遠い昔、漱石を読んだときには、まったく気にも留めなかった一文。たぶん今読んだら、「わぁ、陶淵明の無弦琴だ!」と感激しただろう。

写真に著作権があると思うので、参考ウェブサイトのリンクのみ:https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-72925.html