古琴日誌 (4) ファン・ヒューリックと古琴

昨日は「一日に何曲弾けるか」という、あまり意味のない挑戦をしてみた。意味はないにしても、練習のモチベーション維持、マンネリ化防止、どんどん忘れていくことに対する危機感の喚起などの一応の口実はある。

調律は正調のまま、一応「難易度 低→高」のつもりで始めた。

『仙翁操』いつも思う。基本曲でさえきちんと弾けないのはなぜか?
『湘妃怨』弾き語りはできなかった。いつかきっと!
『酒狂』少しスムーズに弾けてよかった。
『关山月』豊かな旋律のところがどうしても「ぶつ切れ」になる。
『韦编三绝』やはり忘れかけていた。何度も練習。
『归去来辞』いい曲だなあと思う。一部記憶が混乱。
『神人畅』前半と後半の低音部が入り混じる。記憶あいまい。
『鸥鹭忘机』忘机ならぬ忘曲。全然だめ!
『平沙落雁』意外にも上の曲よりも覚えていたが、最後部だめ。

教則本の順番で行くと次に習ったのは『普安咒』だったが、これはまったく覚えていなくて、今の眼の状態では楽譜が見えず、練習すら無理だったので、正調の既習曲としては教則本最後に飛ぶことにした。このあたりでかなり疲労困憊。

『龙翔操』最近復習した曲だが記憶があいまいな箇所が頻出。
『梧叶舞秋风』少しずつ苦手意識を克服しつつある曲。でも「ぶつ切れ」。

以上11曲弾いたところで、「ギブ・アップ」。だいたいの曲は一回通して弾くだけ、あるいはそれプラス、できなかったところを2,3回練習……という程度だったが、かなり疲れた!

で、疲労回復のためにお茶を飲みながら、ウエブでファン・ヒューリックさんのことを調べた。

ヒューリックさんは1938年から駐日オランダ公使館書記官として来日、そして戦後再来日、ディー判事を主人公とする推理小説を次々発表、1965年には駐日オランダ大使として再々来日、二年後に病気のために帰国後亡くなった。

ウィキペディアによる紹介では、彼は外交官、東洋学者、推理小説家となっているが、私がはじめてその名前を知ったのは、日本における古琴「復活」に大いに貢献した人としてだった。それと同時に推理小説も書いていると聞いて、早速手に入れて読んでみた。

読んだのはかなり前なので、内容は覚えていないが、当時、興味を覚えていろいろ調べてみた。そして、この本の挿絵まで自分で描いていることとか、多言語をマスターしていたこと、江戸川乱歩とも交流があったといったことを知って、多芸多才、マルチ人間ぶりに感動した。ある意味、本当の「文人」だったのだろうと思う。

古琴を通じて、いろいろなことを学んだり、感じたりすることができる。これは古琴の大きな魅力の一つだと思う。