C’est beau la vie 歌詞訳(意訳)

C’est beau la vie 人生は美しい

Le vent dans tes cheveux blonds
Le soleil à l’horizon
Quelques mots d’une chanson
Que c’est beau, c’est beau la vie

君の金髪を揺らす風
地平線の太陽
歌の中のいくつかの言葉
なんて美しいんだ、人生は

Un oiseau qui fait la roue
Sur un arbre déjà roux
Et son cri par dessus tout
Que c’est beau, c’est beau la vie.

赤枯れた木の上で
羽根を広げる鳥
その鳴き声はとりわけすばらしい
なんて美しいんだ、人生は

Tout ce qui tremble et palpite
Tout ce qui lutte et se bat
Tout ce que j’ai cru trop vite
A jamais perdu pour moi

震え胸躍らせるものすべて
もがき戦うものすべて
永遠に失われたと
あわてて思い込んでしまってたものすべて

Pouvoir encore regarder
Pouvoir encore écouter
Et surtout pouvoir chanter
Que c’est beau, c’est beau la vie.

また見ることができる
また聴くことができる
それに何といっても歌が歌える
なんて美しいんだ、人生は

Le jazz ouvert dans la nuit
Sa trompette qui nous suit
Dans une rue de Paris
Que c’est beau, c’est beau la vie.

夜中のジャズセッション
パリの通りで
僕らについてくるトランペット
なんて美しいんだ、人生は

La rouge fleur éclatée
D’un néon qui fait trembler
Nos deux ombres étonnées
Que c’est beau, c’est beau la vie.

輝く赤い花のような
ネオンが僕らを震わせる
驚いている僕らの二つの影を
なんて美しいんだ、人生は

Tout ce que j’ai failli perdre
Tout ce qui m’est redonné
Aujourd’hui me monte aux lèvres
En cette fin de journée

僕が失いかけたものすべて
僕にもう一度与えられたものすべてが
今日、唇から歌になってあふれ出る
一日の終わりの夕暮れに

Pouvoir encore partager
Ma jeunesse, mes idées
Avec l’amour retrouvé
Que c’est beau, c’est beau la vie.

また分かち合うことができる
僕の青春、僕の想いを
よみがえった愛と分かち合う
なんて美しいんだ、人生は

Pouvoir encore te parler
Pouvoir encore t’embrasser
Te le dire et le chanter
Oui c’est beau, c’est beau la vie.

また君に話すことができる
また君に接吻することができる
君にこう言えて、こう歌える
そう、なんて美しいんだ、人生は

Mちゃん またいつかね

Mちゃん、やっぱり今私がいるこの世界からはいなくなっていたんだね。私は今のところ、量子力学で言うところの「コペンハーゲン解釈」ではなく「多世界解釈」を信じているから、Mちゃんが別の世界で元気でいることには疑いは持っていないけれど……そこに別の私がいるかどうかはまた別の話。

またいつか、どこかで会おうね。というか、さっき言ったように、今この瞬間も、どれかの世界で、まだMちゃんと同じ世界を共有しているのだと信じているのだけれど。これからずーっと先、私を構成しているものたちの寿命が来て、私もゼロフィールドの中に取り込まれる時、み~んな、一緒ごちゃになるんだよね。きっと。

自分でも何を言っているんだか、わからない。すごくショック。覚悟はできていたし、多世界解釈ならば「人は(物理的寿命が尽きるまで?)死なない」ということなのだと、勝手に考えていて、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせているのだけれど、そんな頭の中だけの操作ではうまくいかないね。Mちゃんがいなくなってさびしい。ここ数年は声を聞くだけで会ってもいなかったのにね。

M兄ちゃん、またいつか、きっと会おうね。

クレヨン画(38)(39)

2024年12月に描いて、ブログに残すのを忘れていた二枚。

一枚目は久しぶりに百均のクレヨンを手に取って描いたいたずら描き。

普通のツルツルのコピー用紙に描いたせいか、クレヨンがうまく紙につかなかった。ちゃんとした画用紙に描けばよかった……。

二枚目は、いつものようにYouTube動画を観ながら描いた「霧に包まれた夕暮れの道路」の絵。構図が少し変わってしまったけれど、霧を描くのは楽しかった♪

このほかのクレヨン画、色鉛筆画を集めた「なんちゃってギャラリー」はここ

写真に撮ると、絵の印象がまったく変わってしまうことがある。さらに、小さい絵だと、ピントを合わせるのがとてもむずかしい。要研究!!

色鉛筆画(3)-(6)

色鉛筆で描くミニチュア画は意外と時間がかかることが分かった😲

今回の一枚目は、40年ほど前の色鉛筆60色セットの試し書き。足りない色が3本あったので、来月上京の折に入手予定、。

2枚目は大好きなベックリンの『死の島』の模写。前にクレヨンで描いたものとは違うバージョンで、おそらく同名の絵の中では一番最初に描かれたもの。ミニチュアでは、棺を運ぶ小舟がかなり大きくなった。

3枚目はアンリ・マチスの『赤の部屋』。最近初めて見たのだけれど、すごく心を惹かれた。たぶん、真っ赤な部屋と、素知らぬ顔の外の風景の対比が好きなのだろうと思う。

このあたりで、ミニチュア画は自分の好きな絵の模写をしていきたいなと思った。いつも描いているサイズのクレヨン画だと、変に本物に近づけようとするけれど、ミニチュア画だと大幅に省略しないといけないし、自分なりの解釈をしないと描けない。それがおもしろいし。第一、描いている時、すごく楽しい♪

最新作のアンリ・ルソーの『大豹に襲われる黒人』はルソー独特の植物へのこだわりをミニチュアサイズで再現しようとすると、大変なことになる。結局、二日がかりで描くことになって、「これなら大きなクレヨン画を描いた方がいいんじゃないか?」と、大きな疑問符が頭の上に浮かんだ。

色鉛筆はかなり力を入れて塗ってもすごく鮮やかな色にはならない。これまでに描いた絵も、何だかぼんやりしている。いろいろ学べば、もっと鮮やかな絵が描けるのかもしれないけれど、とにかく描いていて楽しいものを描こうというスタイルだから、これから先どうなることやら……。でも、模写したい絵はまだまだたくさんある……。どうかこのモチベーションが途切れませんように!

ミニチュア色鉛筆画は展示するかどうか迷いつつ、展示を続けているなんちゃってギャラリーはこちら

 

色鉛筆画(1)(2)

はじめての色鉛筆画。2枚描いた。

1枚目はこの間クレヨンで描いた幻想画のミニサイズ版。

2枚目はすごくわかりにくい…数年前、クレヨン画で描きたいと思ったけれど描けなかった、ベックリンの『聖なる森』風(ふう)の絵。初めは原画を見ずに、記憶で下書きを始めたので、だいぶ原画とは違うものになった。白衣姿の聖職者たちが炎の祭壇に祈りを捧げているところ(のつもり)。色鉛筆の使い方がまだわからず、色が出ない!!

そもそも、ミニチュアサイズで絵を描きたいと思って、クレヨンでは無理だな~水彩はめんどくさそうだし……などと思って、色鉛筆にたどり着いた。

初めはその辺にあった水彩色鉛筆を使って描いた。二枚目は三菱色鉛筆12色。そのあとクローゼットの中で、40年くらい前の60色の色鉛筆セットを見つけた。三本欠けているけれど、次回上京の折に入手予定。この色鉛筆セットを使って何か描けたらいいな!

この二枚も一応、なんちゃってギャラリーに展示!

Mちゃん元気でね~

Mちゃん、お姉さんと話したよ。Mちゃんが家を出たのが、二回目の介護認定審査のために病院に行く前日だったという話を聞いた。きっといやだったんだね。要介護の程度が上がって、さらに多くの他人が生活に入ってきたり、あるいは施設に入らなければならなくなったりして、プライバシーや自由が奪われるのがいやだったんだね。きっと…。

あんなに自由気ままに暮らしていたMちゃんだもの。人の言うことにはなかなか耳を傾けないMちゃんだもの。自分が生活するのを助けてくれているのだとわかってはいても、介護の人やヘルパーさんにいろいろ言われたりするのは嫌なんだろうな―と思う。

お姉さんが言っていた。下の弟は「兄さんは出家したのかもしれないよ」って言ってるって。実際にはそんなはずがないことはみんなわかっているけれど、もう数年前から坊主頭だし、テレビ番組か何かのエキストラでお坊さんの役をやったときには、般若心経を全文覚えたって言っていたし、準備オッケーだものね♪ そうだったらいいな。どこかの山寺でお坊さんになっているといいな。

どこにいようと、元気でいてね。どこにいようと、また会おうね。あのなつかしい町で会おうね。楽しい子供時代をみんなで過ごしたあの町で会おうね。温かくなったら、私も里帰りをしようと思っているんだ。また会おうね、大好きなMちゃん!

クレヨン画(37)

久しぶりにクレヨン画を描いた。今年(2025年)になって初めて。

YouTubeで、オイルパステルでグラデーションを描く動画を見つけて、ぺんてるクレヨン30色で描いてみた。

まず、グラデーションがうまくいかなかった。綿棒やティッシュペーパー(動画推奨)や指先を使ってみたけれど、うまく混じり合わない。やはりオイルパステルと同じ方法ではだめなのか。

動画のお手本からの変更点は、中央近くにいる人の姿。お手本では歩いている人だったけれど、どうしても描けなくてやめた。で、座っている人にしたけれど、少し大きすぎた……。でも、できた絵を遠くから見たら、月と太陽(朝日か夕日)のある景色の対比が見られて、おもしろい絵にはなったと思う。

それに、描いている時、楽しかったし、不安、心配、身体のしびれとかネガティブな思考や感覚を忘れていた。だから、大成功の絵なんだ!

前に『天気の子』をテーマにした柴崎先生の絵を見ながら、現実にはない世界を描いたことがあったけれど、幻想世界を描くのはそれ以来で、二枚目だと思う……。こういうのもおもしろい。

ドクター・ハガティーから、「絵を描くのはとてもいい。どんどん描きなさい」と言われて、次の診療日に「描いてる?」と聞かれたから、「また今度行ったらまた聞かれるなぁ…」と思って、緊張して描けなくなった(先生のクリニックにも行けなくなった?)。ははは……笑っちゃう。どこまで緊張しいなんだって。自意識過剰。先生は何も気にしちゃいない。

「やらなくちゃ」と思うことができていないと(たいていはできていない)、強迫観念に襲われ続ける。そして、あの魔の悪循環が始まる。精神が弱る⇒何もできない⇒さらに精神が弱る⇒何もできない……まったくやっかいな性分。

明日から三日間、がんばらなければ乗り切れない日が続く。ただただ無事に終えることができ、結果もOKでありますように。

これまで描いたクレヨン画を集めた「なんちゃって💦ギャラリー」はこちら

Mちゃん、お誕生日おめでとう

Mちゃん、昨日はお誕生日だったね。おめでとう! これからしばらくはお兄ちゃんだ。またすぐ追いつくけれど。

日本はあちこちで桜の季節が始まっている。Mちゃんがいるところはどう? もう満開? それともつぼみ? 温かいところだったら、もう満開かもしれないね。一緒にお花見に行ったことはないけれど、満開の桜にカメラを向けているMちゃんの姿、想像できる!

カメラと言えば、何千枚も撮りためた写真、今どうなっているのかな? 家に全部置いて出かけちゃったんだよね。弟さんたちが管理しているのかな? みんなで子供時代を過ごしたあの町の古い写真、いつかゆっくり見せてもらいたいと思っているんだ。Mちゃんが帰ってきたら、きっと遊びに行くからみせてね。

その時には、あの町の話、たくさん聞きたい。私は本当によく覚えていないのだけれど、Mちゃんの昔の記憶ってすごいから。雪の日にあのビルの屋上でMちゃんが写真を撮っていた記憶が私にはあるのだけれど、それが現実だったかどうか、Mちゃんに確かめたい。

Mちゃんがあの町を出て、新しい生活を始めた家からいなくなってから3か月が経った。今、どうしているのかなって、よく思う。悲観的なことを考えないわけじゃないけれど(こんな終わり方ってあるの!って叫びたくなる)、Mちゃんがどこかでのびのびと好きなことをやって暮らしていると信じている。

またね、お兄ちゃん!

Mちゃん、どこにいるの?

Mちゃんが家を出て行ってから二か月経った。今、どこにいるのかなぁ。寒い日が続いているけれど、ちゃんと暖かく過ごせているのかなぁ。

Mちゃんがこのブログを読む可能性はゼロ。たぶんコンピュータもスマホも使えない状況だろうし、第一、私がブログをやっていることさえ知らない。

でも、Mちゃんと話すには、これしか方法がない。この画面の端っこの「公開」ボタンを押すと、このメッセージは世界中に飛んでいく。だから、きっとMちゃんのいるところにも届く。それが読めるか、聞こえるか、それはわからないのだけれど。

Mちゃん、元気でいてね。フウテンの寅さんのように、自由に、気ままに、Mちゃんのやりたいことをやりたいようにやって、ふわふわっと生きて、ふわふわっと、また私たちのところに帰って来て。それでまた出かけたくなったら出かけたらいいから。

認知症が進んじゃっていたら、いろいろむずかしいというのはわかる。でも、どこかに答えがないか。どこかに落としどころ、共存の道はないのか、こちとらも認知能力が衰えつつある頭を絞って考える。

Mちゃんがいなくなった

去年(2024年)12月のはじめから、おさななじみのMちゃんが行方不明。それを知ったのは今年になってから。そっか、一か月くらい前に久しぶりに電話をしたときは、もういなくなっていたんだ……。

一年くらい前から認知症が進行して、介護1だか2の認定がついて、ヘルパーさんなどの訪問も含めて、自宅介護の体制が整ったところだったのに。やっぱり、他人が自分の生活に入ってくることがいやだったのかな?

「Mちゃん、とうとう本当にフウテンの寅さんになっちゃった」。行方不明の知らせを聞いた時、そう思った。昔、フウテンの寅さんのビデオを貸してもらった時、Mちゃんって、寅さんみたいだよなぁと思った。

20歳くらいの時かな、横浜の港に見送りに行ったこと、覚えている。船でヨーロッパに行ったんだったよね。フランスだったっけ? 同い年だけれど、Mちゃんと比べて子供だった私には、4か月年上の「お兄ちゃん」がすごくたくましく思えた。

シャンソンを弾き語ったり、詩吟を吟じたり、そばを打ったり、包丁を研いだり、多趣味のMちゃんは、あまりにいろんなことをやるので、レッスン代とか、電車賃とか大丈夫かなぁと、現実的なことを考えて少し心配になったこともある。でも、新しいことに果敢に挑戦していく姿は、すごくかっこいい。

高齢者の行方不明ってすごく多いことを最近知った。ほとんどは見つかるらしいけれど。寒い季節だから、すごく心配。でも、若い頃、あんなにたくましく生きてきた人だから、きっとどこかで自由気ままな生活を謳歌しているに違いない。そう信じている。Mちゃん、おたがいにがんばろうね!