アリアのつけ爪をつけてみた

ペラペラに薄くなってしまった右手人差し指の爪に「アリアのつけ爪」をつけてみた。ウェブ情報でギターリストたちのレビューがよかったから、これは試す価値があると思った。

以前ギターを習っていた時には、釣り師さんが愛用の瞬間接着剤というのに行き着いて、しばらく使っていたが、爪の痛みが激しかった。今回の製品は医療用の両面テープというのを使っているのが「ミソ」らしい。はがすときに、除光液とか化学製品を使わなくていいという話。テープが水に弱い特性を利用して、水に濡らすと取れやすいらしい。でも、それって医療用だというのと矛盾しない? とも思う。でもともかく貼ってみて、今練習中の新曲『神人暢』を弾いてみた。今のところはなかなか調子がいい。

問題は、どれくらいもつのか、水にどれくらい耐えられるのかということ。また、自分の爪は縦方向にも微妙に湾曲しているが、つけ爪はほぼまっすぐなので、先が二枚爪状態になってしまうから、ちょっと見た目に違和感がある。でも、ペラペラ爪で弾くよりはずっといい! 思い切って力が入れられる! あとで、爪がすり減る原因となった『流水』も弾いてみよう。フォローアップ要!

サイト内検索を「つけ爪」で検索すると、フォローアップ記事があります。
ダイソーのつけ爪に関するブログもあります。

古琴の紹介カードできた!

古琴を簡単に紹介するカードがやっと完成。名刺よりちょっと大きいくらいのサイズ。古琴の写真に文字を入れ込んだのも、ロゴのイラストを描いたのも、全部 iPhoneのメモ帳についている「お絵描き機能」のみ。だから大変だったし、出来は「素人感」がいっぱい。でも、作るの楽しかった。それに、これでやっと、古琴を中国語で正しく発音できなくて相手に伝わらず「あ、古箏ね!」と言われたときに渡せるものができた。

ちなみにロゴは昔風に古琴を膝に乗せて弾いている人のつもり。モデルはなんと、竹林の七賢人の一人の嵇康! だいぶ無理があるけれど…。

 

 

 

古琴曲『洞庭秋思』

この曲の楽譜が最初に記録されているのは、明代の1549年に編纂された『西麓堂琴統』という本。その頃に作られたと考えられている。作者は不明。洞庭湖は中国で二番目に大きい淡水湖で、湖のほとりには、杜甫の詩で有名な岳陽楼がある。古くから「洞庭、天下の水。岳陽、天下の楼」と言われているそうだ。自然に囲まれた広大な湖の景観はどんなにすばらしいことだろう。
以前、中国からシンガポールに来てレッスンをしてくださった戴先生は、「この曲の最初の三つの音は、たとえば、『ニ・ハオ・マ』とあなたに呼び掛けているという風に考えるといいわよ」とおっしゃっていた(中国語だったので、正しく理解できていたか、ちょっと自信がないが)。メロディは歌う! それからは、心の中で、「ニ・ハオ・マ、洞庭湖に行ってみよう……」と歌いながら弾くようにしている。

下の動画のチャンネルには、勉強になる動画がほかにもたくさん投稿されている。

管理人もがんばって、練習しています。間違いだらけではありますが、こちらもご覧ください。

古琴曲『龙翔操』

曲の成立時期をインターネットで調べてみたが、はっきりしない。そういえば、多くの古琴曲の場合、ネットには、その曲が最初に収録された曲集の名前が載っていることが多い。この曲は1425年、明の時代に刊行された『神奇秘譜』に収録されているとある。朱権という作者の名前が挙げられている記事もあった。もう一つの記録は1867年に編纂された『蕉庵琴譜』で、現在弾かれているのは、こちらの楽譜がもとになったもののようだ。
この曲はタイトル通り、龍の飛翔がテーマ。壮大な曲。広陵派という古琴の一派の代表曲で、张子谦という古琴の名手による演奏が最高と言われている。管理人が学んでいるのも、张老師が記譜した楽譜をもとにしたもの。むずかしい…。

張老師が87歳の時にこの曲を弾いていらっしゃる動画があるのですが、YouTubeの映像のようにリンクをはることができません。興味がおありのかたは下記URLを参考に探してみてください。

https://www.bilibili.com/video/av16161418/

『龙翔操』への無謀な挑戦

先週、レベル試験で『流水』を撃沈させてしまったというのに、今度は『龙翔操』に挑戦する。なんと無謀な! 試験の課題曲として、上級生の一人がこの曲を選んでいて、練習している時に何度か聴かせてもらって心惹かれた。龍が飛んでいる! まだ先週はじめたばかりだから、私の龍はまだ飛んでいない。目覚めてもいない。大河か大海の底に潜んでいる…それが天頂めがけて舞い上がる! そして優雅に、なんとも力強く、とりわけ自由に天空を飛び回る…曲を聴いた印象は、今のところはそんな感じ。曲自体についての説明はまた別の機会に。まずは練習せねば!

古琴の新しい可能性―『西遊記』のテーマ

古琴の新しい可能性を見た。ベトナムの古琴サイトのフェイスブック上のビデオへのリンクが、シンガポールの古琴アートセンターの情報網で回ってきた。フェイスブックへのリンクがWordPressでどのように動くのかわからないので、試験的にリンクにURLを貼り付けてみる。私はともかく古典曲を弾くのが好きで、できたら日本の古い曲を弾けたらいいな…と思っているだけだけれど、チャレンジャーはどこの世界にもいる。基本的に斬新的な試みというのは苦手な管理人だが、このビデオには見入った。邪道と言えば邪道なのだろう。でも、この発想はおもしろい。若い人たちも古琴に興味を持ちそう!

『流水』撃沈

管理人のぼやきです。実は昨日、古琴のレベル試験がありました。課題曲は『长门怨』と『流水』。先生の助手の人がビデオを撮っていて(去年もそうだった?)、いやだなぁ……と思ったのがつまずきの始まり。

『长门怨』から弾き始めたけれど、最初から気持ちが入りづらかった、少し落ち着いた頃に、「気をそらされる出来事」が始まって、精神集中がまったくできなくなった。それで、一回大きなミス。そのすぐあとに「ハオ(はいそこまで)」という声が入って、次に、気を取り直して、『流水』を弾き始める。

でも、「その出来事」がまた始まるのではないかと、そればかりが気になって、普段は自分がどこを弾いているかを心のどこかで感じているのに、まったくその感覚がなく、無意識に弾いていたら、導入部の、これまで一度もひっかかったことのないところでひっかかった。頭真っ白。どこで間違えたのかわからないから戻りようがない。

反射的に、どうしよう!と助手の人の方を見たのは覚えているけれど、そのあたりから記憶がとぎれとぎれになる。手がおろおろと動き回り、記憶に戻ってきたメロディーだけを頼りに(メロディーが分かっても、どの弦をどの指で弾くかがわからないから適当に)、数小節弾いて、何とか立て直したけれど、またすぐひっかかった。今度も、自分がどこを弾いているかわかっていさえすれば、すごく簡単な部分。またあせりまくって、やっと思い出して数音弾き始めたところで、試験官の先生から「ハオ」の声が入って止めた。(もしかしたら、弾き始めたのが間違った部分だったのかもしれない。それすら記憶があいまい。)

結局『流水』は水が流れ出すところまでいかなかった。私の中では、高い山の奥を歩いていて、川の源流の音がかすかに聞こえ始めた…くらいのところで「ハオ」。結局は暗譜が完全ではなかったということ。テストの前に長時間待たされたこと、思いがけずビデオがあったこと、予期しない出来事が起こったことなど、言い訳はいろいろあるけれど、すべて自分の至らなさ。やはり、古琴は独りで弾くに限る、と痛感させられた日だった。

やはり独坐弾琴が一番!

古琴曲『流水』

「非常に親しい友人」との間柄を表す「知音」という言葉や、そのような友人を失った悲しみを表す「伯牙絶弦(はくがぜつげん)」という言葉の由来となった、春秋時代の故事の中で古琴の名手伯牙が弾いたと言われる曲の一部。当時は『高山』と『流水』という曲が一つになっていたらしい。それが唐の時代に二つの曲に分かれた。そしてさらに清の時代に、ある古琴の大家が『流水』の第五段と第六段の間に一段加えて全部で九段にした。これが今最もよく弾かれているもの。
この、のちに加えられた一段に、右手をグルグル回すような感じで、七本の弦を連続して弾いて水の流れを表す部分が含まれている。とてもむずかしい。なんでこんな弾き方ができるのだ!…でも、私がもっと驚いたのは、伯牙が弾いた曲にはこの部分がなかったということ。彼の古琴を聴いて、親友の鐘子期は、「すばらしい。まるで勢いよく流れる水のようだ」と感激するのだが、現在の第六段なしで、流れる水を表現できた、それを感じ取れたというのは、本当にすごい。
この曲はYoutubeにたくさんあがっていますが、当サイトの古琴についてのページからその一つの音源にリンクできます。

古琴曲『韦编三绝』

大昔の中国の書籍は、牛の革ひもを使って、細く切った竹の冊をつないだものだった。韦编三绝(wei2 bian1 san1 jue2)は、そのひもが擦り切れて何度もつけかえるほど本を読むという意味。孔子が『周易』という本を読んでいたときの逸話が、『史記』の中に見える。孔子さま、どれだけ読書が好きだったの!と感動する。
古琴曲はこの孔子の故事に基づいて作られたもので、清の時代の初期に作られた『琴書千古』という本に取り上げられている。初めてこの曲を聴いたとき、最初の三音が『君が代』の最初の三音と同じで「わぁ!」と思った。そして、君が代を古琴で演奏するというのもいいのではないかな…と思った。でも楽譜が見つからない。日本の曲で古琴の楽譜らしきものを見つけたのは、いまのところ『越天楽』だけ。それもどうひいたらいいかわからない。いまだに謎のまま。
youtubeにはあまりこの曲があがっていないので、ちょっと苦労して見つけたのが下のリンクです。個人的にはもう少しゆっくり弾いたもののほうが好きなのですが、この映像を見ると、古代中国の「本」や図書館?がどんな様子だったか垣間見ることができておもしろいので
、ご紹介します。

帰りなんいざ!『归去来辞』

日本でも有名な陶淵明(AD365-427)が書いた『帰去来の辞』という詩に基づいて作られた古琴曲。

陶淵明は10余年、官職についていたが、41歳の時、公職を退き故郷に戻って、その後二度と公の舞台には上がらなかった。その人生の転機のきっかけについては、詩の序文に、「役人としての生活は自分の理想には合わないと思っていたところに、妹が亡くなったので、その喪に服することをきっかけに辞めた」、といったことが書かれている。

一方、いろいろな人物の逸話を集めたある本には、最後の県令の職にあったとき、地元の小吏を束帯の正装で出迎えるよう命令されて、「すずめの涙のような給料を得るために、小者なんぞにへつらう気はない」といった内容(だいぶ意訳しています…)のことを言って、さっさと故郷に帰ってしまったとあります。話としてはこちらのほうがおもしろい。陶淵明ならありそうな話……ということで伝えられたのだろう。

古琴に話を戻すと、この曲は詩と切り離すことのできない曲だと思う。「さあ帰ろう(帰りなんいざ)」という言葉で始まり、最後は「天命を受け入れた今、もはや何の迷いもない」いった達観の境地で終わる。詩の中にはもちろん古琴も登場する。「琴を奏で書を読めば、憂いは消える」。陶淵明と古琴ついては有名な「無弦の琴」の逸話があるが、それはまたの機会に。

下のリンクは動画ではありませんが、管理人が大好きな大先生の演奏です。成先生がこの曲の最初の部分を歌っていらっしゃる動画(!)がbilibiliという中国の動画サイトにありましたが、リンクできませんでした。どうか、「归去来辞 成公亮」でサーチしてみてください。(私はとても感動しました……。)

(続報20210205)リンクしたかった動画がYouTubeにもあがっているのを見つけました。ぜひごらんください。

(続報20221028)自分でも挑戦してみました! 歌は大好きなのですが、下手くそ……でも、古琴を弾きながら歌っていると、とても楽しい☺!