久しぶりの古琴動画投稿

何週間ぶりかわからないほど久しぶりの投稿。

10年前にはじめて古琴を手に入れたとき、すぐに練習を始めなかったことへの後悔。その時の自分に「がんばれ! ちょっと触ってみて!」と声をかけてみた。

古琴一か月のブランク

この一か月間、古琴をほとんど弾かなかった。

正直なところ、弾いたのは5回。それも『广陵散』のみ(しかも楽譜を見ながら!)。前半、後半と分けて2日かけて弾いたのが2回。通してかろうじて一回。合計5回。合わせても2時間くらい……これほど弾かずにいたのは2016年にレッスンを再開してから初めてかもしれない💦

本当は東京でレッスンをとりたいと思っていた。でも、時間的にも精神的にもまったく余裕がなく、何とか倒れずに戻ってくるのが精いっぱいだった。

帰ってからも疲労がとれず、なかなか練習できないでいる。

三日かけて『广陵散』を分割復習。今日、やっと全曲通して弾いた。30分かかった。楽譜を見なければならなかったのは4か所くらいだったから、まあよしとしよう。すっかり忘れてしまったのではないかと、とても心配だったから。

ほかの曲は1か月以上、まったく弾いていないわけだから、どうなっているか……想像するだけで恐ろしい!

まあ、またぼちぼちと、ゆっくりと「独座弾琴生活」を再開しよう。

 

 

古琴検定試験(シンガポール)

コロナ前、まだレッスンを受けていた頃に、中国民族管弦楽学会という団体が主催する、「社会芸術水平考級」というテストを受けたことがある。それで、成績はあまりよくなかった(『流水』で撃沈!)が、一応8級合格という証書をもらった。

それ以来、自習生活に入ってしまったし、そもそも「試験」と名のつくものがすべて嫌いだから、「生徒はみんなとるんですよ~」という、先生からの無言の圧力がない限り、とる気はしない。

でも、最近、ぬるま湯の自習生活にどっぷりつかって、モチベーションをすっかり失っているし、先輩が「新しいシステムになったし、コロナ禍の今は、自分でビデオに撮って送ればいいんだよ~」と言っていたので、これはいいチャンスかも?と思って、調べるだけ調べてみた。

Teng(鼟)という非営利団体が主催していて、シンガポールだけではなく東アジアで手広くやっているみたいだけれど、団体の情報はあまりウェブにはなかった。で、ほかの団体で8級をとっていたら、その上の級を受験できるみたいだったのだけれど、その課題曲として、下のリストの中からなんと3曲(!)を選んで、全曲弾かなければいけないらしい(今回、ビデオでOKなのかどうかははっきり書いてなかった)。

リストの中の曲のうち、『龙翔操』『大胡笳』『离骚』は確かにレッスンで習った。でも、先生が上海の学校との掛け持ちをすでに始めていた時期に習ったから、最後の二つはろくに見てもらっていない。(あと一曲、独習中の『广陵散』は問題外……。)

そもそも、これ、3曲弾いたら最低でも45分くらいかかる……。こんな試験ってある? 前の試験の場合、課題曲はどれも10分くらいの曲で、5分くらい弾いたら「好」と言われて止められるという感じだったけれど、今回はどうなんだろう? ビデオだったら、全曲弾くしかない?!?!

それに、この級は一応師範級みたいで、受験料が600ドルもかかかる。早割でも490ドル。高っ! これがダメ押しになって、「や~めた」となった。

もう少し安い下の級を受けようかとも思ったけれど、調べているうち、「やっぱり試験ってやだ」と思ってやめた。

でも、自分のためのモチベーションとして、この3曲をしっかり復習するという目標を立てようと思う。試験は12月だから、それまでにしっかり暗譜して、心静かに弾けるようにしたい。

先輩の話

古琴の先輩に久しぶりに会った。先輩と言っても、歳はず~っと下。孫にしてはちょっと大きすぎるくらいの年齢の青年。会うたびに、その古琴愛の強さにおどろかされる。

今日も「手の形」(私にとって大きな課題)の話になった。彼は習い始めの頃、自然な手の形を研究するために、街を歩いている人たちの手をいつも観察していたそう。前に、「漫画に描かれている手の形も参考になるよ」と言って、うちにあった漫画本を手に取って説明してくれたけれど、街の中で、「人間観察」もしていたんだ……。本当に頭が下がる。

今日、そんな彼がふっとつぶやいた――「僕の生活は古琴がすべてなんだ」。お母さんのことを思いやる言葉をふとこぼしたり、まだ一歳にならない息子の話を、かわいくてならないといった様子でしてくれる彼を見ていると、古琴以外の生活もしっかりと送っていると思うのだけれど、時々、「えっ?」と思うような言葉をポロリと言う。

たぶん彼は、家庭人、社会人としての生活もしっかり送りながら、心は古の文人たちのように、もう一つの世界を自由に飛び回っているのだろう。私はあまりに俗人で、おまけに長い人生でたくさん傷を受け、心がだいぶねじ曲がってしまったから、素直に古琴と向き合えていない気がする。

いつか、素直に、彼のようにすがすがしい、潔い心で古琴に向かい合える日がくるのだろうか?

【動画付き】楽しく古琴基礎練習

ワクチン接種以来、体調不良を理由にサボりがちな古琴練習。これはいかんと思って、先輩から伝授された「小道具を使った基礎練習」をやってみることにした。

私にとっては、「左手の力を抜く」というのが大きな課題。人によって、流派によって、いろいろ考え方ややり方があるようだが、私が目指すのは、見ていて、あるいは弾いていて疲れない弾き方。つまり自然体。

左手の動きは「雲の中をふわふわ、すいすいと動くような感じに」とどこかで読んだことがあるが、そんな風にできたら気持ちがいいだろうなぁと思う。

右手も力が入りすぎる、というか、最も基本的な木、挑、勾といった弾き方がきちんとできない。形がきちんとしていないと、音もきれいではないし、見た目も悪い。疲れる。次は右手の練習もしっかりしたい。

【動画付き】苦手な搯起を練習

搯起(tao qi昔は掐起qia qi?) は古琴の基礎的な弾き方の一つで、よく使われるが、私の苦手の一つがこれ。なんとか克服しようと、集中的に練習してみた。

おそらく、大きな音は出なくていいのだと思うけれど、きちんと音を出して、そのあと脱力して丸い手に戻すのがポイントみたい。これがなかなかむずかしい……。

古琴曲『碧涧流泉』

5月半ばから復習を開始した『碧涧流泉』が、やっと楽譜をガン見せずに弾けるようになった。ていねいに弾き方を説明してくれた先輩と、不動の安定感の戴老師の演奏動画のおかげ。
この曲は宋の時代に作られたと言われている。「高速部」が挟み込まれた三部形式になっているのが特徴的。岭南琴派の代表曲だそうだ。この曲にまつわる歴史的エピソードは、南宋の末期、元が侵略してきた時、幼い親王とともに南に逃れた丞相が、最後に親王を背負って(抱いて?)入水したという話。平家の壇ノ浦での最後を思い出させる。

 

戴老師の吟や猱はとても真似できないし、私には「超高速」の第4段と第5段は、この曲のクライマックスとわかってはいても、もたもたする。要するに、いつものように「ただ暗譜できただけ」ということだけれど、もうすっかり忘れてしまったと思っていた曲を「復活」できたのはうれしい。

【動画付き】『長相思』を歌ってみた

この数日、坂田進一先生のビデオを観ながら、ずっと練習していた。このままだとほかの曲をまったく練習しないから、記録動画を撮って、一区切りつけることにした。

あいかわらず、手に力が入っていて見苦しい。注意して練習しているときは、少しマシになっている気がするのだが……。記録に残そうとするととたんに超緊張する(言い訳)。

また先生におこられるかなぁ。「ホントに何やってんのかね~」って。

今日はこれからがんばって、ほかの曲の練習を再開するぞ。

坂田進一先生ご逝去

2022年6月24日、坂田進一先生が亡くなった。

bilibiliという中国の動画サイトに28日に訃報が投稿されていた。

https://www.bilibili.com/video/BV1K3411A7g8/?spm_id_from=333.788

先生、天国でもたくさんの音楽をみんなに届けてあげてください。

数日前にbilibiliで先生の動画や録音を見つけてから、大喜びで観ていた。今日も観ようと思ってサイトにいってみて、「坂田进一先生于24日病逝,先生千古」という最新投稿を見つけた(今でも信じられない。誤報であれとさえ願っている)。

(20220702)誤報ではないことを確認しました。とても残念です。悲しいです。

病気療養中でいらっしゃることは日本のウェブ情報で知っていた。数か月前、研究所を移転なさったときのスナップ写真を見て、ご快復、ご活躍をお祈りしたところだった。

先生、もう一度お会いして、改めてお詫びとお礼を申し上げたかったです。数々のご無礼、本当に申し訳ありませんでした。音楽を学ぶ者の姿勢を教えていただいたこと、心から感謝しています。

『玉堂琴譜』をネットで見る

以前にブログに書いた「学琴は一曲に止むべし。多曲を貪るなかれ。唯一曲を愛した古人は衆(おお)い。高き志があれば一曲にて足る」という浦上玉堂先生の言葉の出典がわかった。

今朝、国立国会図書館デジタルコレクションに収められた『玉堂琴譜』を見ていたら、それらしき言葉が目に入った。あ! ここにあったんだ!

左側のページの中ごろから始まる、浦上先生の厳しいお言葉。ひたすら耳が痛い。でも、凡人の初学者としては、いろいろな曲を弾いてみたいとつい思ってしまう。

いろいろ聴いたり弾いたりしているうちに、心に響く一曲が見つかって、心に従うように手が動いていくようになるだろう、いやぜひそうなってほしい!

こんなふうに、遠く南国から日本の江戸時代の資料を見ることができるなんて、夢みたい。昔はなんでもせっせと図書館に通ったのに! 普段、ちょっと抵抗のあるデジタルテクノロジーに感謝!

◆この本のデジタル版はネットで「玉堂琴譜」で検索するとすぐ見つかります。上に引用したページは24ページ目です。26ページ目から琴譜が見られます。私は結構感動しました。ご興味のおありのかたにはお勧めです!