古琴曲『龙朔操』

この曲はとても好きで、ずいぶん練習したはずなのに、すっかり忘れた。復習をまったくしていないから……。その理由(言い訳)は、この曲はほかの大部分の曲と「弦の調弦の仕方」が違うから。普通は正調といって、七本の弦を「ドレファソラドレ(西洋の音階で言うと)」に合わせるが、この曲は「緊五慢一(第五弦を高くして、第一弦を低くする)」にしなくてはいけない。だから、別の曲の練習を始めると、いちいち調弦し直すのが面倒(!)で復習しなくなる……すみません。言い訳です。

言い訳はともかく、まずはビデオをご覧ください。大好きな成公亮老师の動画がYouTubeで見つかりました! お若いときの演奏です。

この曲はあの有名な王昭君(おう しょうくん)の悲話に基づいて作られた。「有名な」といってもそれは中国でのお話で、日本では、むしろその悲話よりも、楊貴妃、西施、貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられていると言ったほうが知っている人が多いかもしれない。

「悲話」を簡単に説明すると、前漢の元帝の時代、北方民族、匈奴の君主が元帝に漢の女性を妻にしたいから誰か送ってくれと頼んだ(漢から話を持ちかけたという説もあり)。その結果、昭君が選ばれ、彼女は泣く泣く(長年、元帝の目に留まらずにいたため、自ら志願したという説もあり)お嫁に行った。匈奴の君主が亡くなったあとはその地の習慣に従い、義理の息子の妻となったが、これは漢族にとってはとても不道徳なことで、昭君にとっては二重の悲劇となった。

ここまでは歴史的な話で、のちに有名になったのは、昭君が選ばれた時の次のようなエピソード(どこまでが本当なのかよくわからないが)。

匈奴には「いい女」をあげたくないと思った元帝は、宮廷に仕える女たちの似顔絵を見て、その中から一番醜い女を選ぶことにした。ところが、実は、昭君は似顔絵師に賄賂を贈らなかったために醜く描かれただけだったので、旅立ちの儀式の時になって、本当は絶世の美女だったことを知った元帝はびっくり! 「あげたくな~い」と思ったが、時すでに遅しだった……というお話。元帝はあとで賄賂のことなどを知って、似顔絵師を処刑し、さらし首にしたというから、よっぽど腹が立ったのだろう。

古琴の曲には、遠い匈奴の国へ旅立つ昭君の悲しみ、おそらく馬に揺られていったであろう長い旅路、砂漠の真ん中で過ごす寂しい夜、聞こえてくる物悲しい音楽……そういったものがすべて込められているような気がする。