古琴を楽しむ~その四

最近、古琴ブログが途絶えている。4月からレッスンを休んでいるので、新曲が習えない。だから新しい話題がない。最後に習ったのは『大胡笳』。でも、待てよ……この曲はそもそも最後まで先生にチェックしてもらっていない! お手本をビデオに撮らせてもらっただけ。先生も暗譜が完全ではなくて、楽譜「ガン見」で弾いてくださったのを撮影した。

これまでで最長の曲で全部弾くと20分くらいかかる。YouTubeにも全曲を弾いた動画はあがっていなくて、「完成品」を聴けないから練習するのがすごく困難。でも、とてもいい曲(今日、これから練習しよう!)。この4か月繰り返し弾いて一度は暗譜できたけれど、ほかの曲を忘れそうになって、そっちを弾いていたら、この難曲はスルスルっと記憶からこぼれ落ちていった。

『大胡笳』をほっぽりだして、練習してしまったのは、すっかり記憶から抜け落ちていた『鸥鹭忘机』『梧叶舞秋风』。二曲とも新曲と同じ感覚で、ゼロから学び直し。前者はYouTubeですごくいい演奏を聴いて、どうしても弾きたくなった曲、後者は前にも書いたけれど、軽やかで、気分転換をさせてくれるような曲。どちらもまだ楽譜を「チラ見」しないと弾けない! がんばれ私!

さあ、あまり夜がふけないうちに、練習をしようっと!

古琴21日間の修業

実際は24日目の今日も練習は続いている。でも、ずっと壁に貼ってあった「修業記録」が21日間のものだったから、一応「21日間の修業」というタイトルでブログを書くことにした。

初歩の初歩の曲から今まで習った28曲中、まだ覚えていて「何とか弾ける曲」を毎日数曲ずつ復習している。この表を付け始めた7月1日には、「どうせまた三日坊主だろう」と思って、「そうなったら恥ずかしいから」とブログには書かなかった。ところが、驚いたことに、続いた!

今となっては何日に起こったことなのかわからないが、途中一日、その日に練習したものを二日分に書いてしまったみたいで、実際は7月20日は心身のバランスを完全に崩して、一日寝込んでいたにもかかわらず、表が埋まっている。ま、しかたがない。

ともかくも、21日(正確には20日)間、せっせと練習した自分をほめておこう。三日坊主が得意な私としては上出来。今更ながら、自分の「古琴愛」の大きさに驚く。ただし、これがいつまで続くかは疑問。というのは、24日目の今日、かなり負担に感じ始めているから。負担に感じたらやめる。

今日、負担を感じ始めたのは、全く忘れている曲を「発見」したから。以前、ブログに取り上げて、自分で弾いた曲を動画にもしている曲だから、当時は完全に暗譜できていたことは確かなのに、すっぽり記憶から抜けている。たぶん、28曲中、三分の一はそんなふうになっているのだと思う。う~む。そういう曲はもうあきらめる??

今日の「負担曲」は『梧叶舞秋风』。いい曲なんだがなぁ……。弾けていたはずなんだがなぁ……。動画で大先生の演奏を聴いてみたら、私が弾けるほかの曲と違って、軽やかな感じがして、空に飛んでいくような感じ。弾いてみたい。ちょっと無理をして少しずつ練習してみるかな? でもそのあいだに、ほかの曲を忘れないように要注意!!! よくあることなんだなぁ、これが!

 

『归去来辞』を弾き、歌う成公亮大师

もう一つ成先生の動画を見つけた。先日紹介したものより以前にアップロードされていたようだが、同じ演奏会で撮られた動画。最初の一段落だけだけれど、先生の歌声が聴ける! とても珍しい動画なので、ぜひ紹介したい!

『忆故人』を弾く成公亮大师

いまはほかにも好きな曲が出てきたけれど、この曲を習ってからしばらくのあいだ、ずっと一番好きな曲だった。その曲を、大好きな成公亮先生が弾いていらっしゃる動画を紹介したい。まだ4週間前にアップされたばかりで、視聴回数も少ないけれど、大先生が真剣に弾いていらっしゃる姿が胸を打つ。2013年6月11日に録画されたもの。先生はこの二年後の7月8日に天国に召された。

途中、抜けているところや、弾き直していらっしゃるところがあるけれど、真心がこもった音と、息遣いまでが感じられそうな気迫が大好き。当然ながら、この数日間の復習曲は『忆故人』!

古琴を楽しむ~その三

古琴の楽しみはもちろんその音楽にあるのだけれど、ほかの楽器と同様、楽器自体に対する愛着というのも一つの楽しみだと思う。実際のところ、本当に質の良い古琴、名人と呼ばれる人たちの作品、あるいは骨董品などは収集品としても大いに価値があるらしい。

そういえば、2010年に、北宋の時代の皇帝が作った古琴が、楽器としては史上最高の17億円でオークションで落札されたというニュースを読んだことがある。その翌年に同じく落札された、かの有名なストラディバリウスのバイオリンが12.7億円だったそうだから、まだ記録は破られていない?

約7万円の廉価版の古琴を6年以上弾き続けて、まったく問題なく、満足しきっている管理人には、本当に無縁の話。管理人はあまり楽器にこだわらない。というか、「音楽耳」がないみたいで、「いい音」とかがわからない。7万円の古琴でもいい音がしているんだがなぁ……。

東京に置いてある中古の古琴は、前にも書いたが、ネットで12万で購入。すこし欠けたところをボンドで止めてあるような、骨董品っぽい古琴。でも、おそらく古く見えるようにひび割れとかつけた模造品だろうと先生はおっしゃっていた。それでも音は十分に練習には耐えるということだったし、何しろ初めてポロロロン~と弾いた時の音がものすごくよかったから大好き。

今は木が黒くなってしまってほとんど見えないけれど、買った当時は、裏面の、音が出てくる穴から見える、表面の裏側に、制作年号とか書いてあるのが見えて、模造品にしてもすごく手が込んでいるから、上等品! と思ったのを覚えている。今は全体が変形しているので、弾くときは厚めの「座布団」が必要だし、表面からはげ落ちた漆の成分のせいか、一時は弦から「かすれ音」がしてとても悲しかった。でも、去年上京した時は、大丈夫だった。東京で独りでお留守番している古琴さん、元気で待っていてください!

端午節に古琴を弾く

昨日は旧暦で端午の節句にあたる日だった。この日に弾くべき古琴曲は……当然ながら、この日が命日と言われる屈原が作った(と言われる)長編の詩『离骚』を題材にのちに作られた同名の曲! 詩の内容と合わせて聴いていると、最後に失意のうちに入水する屈原の姿が目に浮かぶ。

当ウェブ管理人は昨年秋から練習しているが、全曲弾くと10分以上かかる大曲で、非常にむずかしい……。昨日も、一部だけでも録音できたら……と思ってがんばったが、何度やっても最初の段落さえ間違えずに弾くことができなかった。

で、昨年習い始めてから三週間たった時点での動画を観直してみて、なおさらがっかりした。この頃からほとんど進歩していない! 嗚呼!

恥を忍んで、再度ご紹介する「練習三週間の『離騒』」。最初の字幕に「第一段から第三段」と書いてあるけれど、それは「第一段から第五段」の間違い。あの時はまだ、第五段までしか弾けなかった。そう考えると、(今の状況と比較して)なかなかがんばって弾いていると思う。しかし、全曲はなんと18段ある!

 

古琴曲『大胡笳』

久しぶりの古琴新曲! この数か月は、『离骚』をはじめとする既習曲の復習に専念していた。ただし「既習」といっても「仕上げられた」というわけではなく、「暗譜できたみたい」という段階。忘れたら思い出すのに膨大な努力が必要となるので、なんとか忘れないようにするために、復習し続けないといけない。だから、新曲に手を付ける暇はない、というわけ。

でも今回、先生が「そろそろ新しい曲をやろうか? 『大胡笳』なんかどう?」とおっしゃった。以前も同じように言われたことがあって、聴いてみたが、その時は、前に習った曲と似ているし、12頁もあるし……というので「却下」していた。でも、あらためて聴きなおしてみたら、なんかとても変わった曲調で、心にしみてくることに気が付いた。で、一昨日の木曜日から新曲に挑戦ということになった。

唐の時代の琴家、董庭兰によって作られたと言われているこの曲にも、歴史的な故事がまつわっている。(以下先生からの受け売りとウェブ情報)それは、漢末期(後漢~三国時代)の才女、蔡琰(文姬:蔡の娘)が、北方の異民族の捕虜となり、12年を過ごし、かの地の地方豪族(?)の妻として二人の子供をもうけたあと、父親と親しかった曹操の助力により帰国するが、子供たちとは離別を余儀なくされた、という話。

文姬は博学多才で、音楽もよくし、父が古琴を弾いている時、突然切れた弦がどの弦であるかを言い当てたという有名な逸話がある。当ウェブ管理人も、こちらの逸話は知っていたが、胡人に連れ去られたことや、曹操に助けられたことなどは知らなかった。興味深い。

で、古琴曲に話を戻すと、蔡文姬が去ったあと、胡人たちは彼女を忍び、胡笳(笛の一種)を奏でた。その話をもとに作られたのがこの曲、と、だいたいそのような話らしい。(もっと調べてみて、追加・訂正があったら追記します。)

先ほども言ったように、教則本で12頁もあるから、暗譜はほぼ不可能……。YouTubeにあがっている動画でも、全曲弾いているものはない。上の動画も、全曲ではない。それでも10分以上……。いつ曲の最後まで練習できるのかわからないけれど、とりあえず、「新曲練習始めました!」というご報告まで。

 

 

古琴を楽しむ~その二

今日は一月七日。古琴の「稽古始め」だった。『離騒』の復習。ずっと練習していなくて、「一夜漬け」ならぬ「二夜漬け」。日曜の夜から復習を始めた。言い訳はともかく、ボロボロだった。基本ができていないことはわかっているから、それは二の次としても、神経の集中が途切れると頭が真っ白になって、次の音が出てこなくなる。「体で覚える」ということができない「たち」だから、頭で覚えるしかない。だからこういうことになる。好きな曲なのに! 猛反省!!

でも今日はすばらしいことを学んだ。それは、「大事なのはまず自分を見つけること」だということ。この歳になって、まだ見つかっていない?!? そう。見つかっていない。というか、この八年余のあいだにすっかり自分を見失った。というか、その間に、まわりの世界がすっかり変わり、自分も変わった。だから、私にとって「自分を見つける」というのはどういうことなのか?と考える。もとの自分を見つけたいわけじゃない。新しい自分を受け入れたい。あるいは本当のもとのもとの自分を再発見したい。

「自分を見つけることが大事だ」と教えてくれたのは、才能と情熱と、努力を惜しまない勤勉な精神を持った年若き青年。悲しみや苦悩をたくさん抱えているに違いない彼に「幸あれ」と祈らずにいられない。

古琴曲『湘妃怨』

『湘江怨』とも呼ばれるこの曲にまつわるお話は、遠く中国古代の伝説の三皇五帝の時代にさかのぼる。中国にはじめて国家を作ったと言われる五帝の一人「舜(しゅん)」は、国の南方を旅行していた時(治水工事などに熱心だったので、視察旅行のようなものだった?)倒れ、帰らない人となった。残された二人の妃、娥皇、女瑛はその死を嘆き悲しみ、その時流した涙が竹の上に落ちて、斑点のついた竹(湘妃竹)が生まれた。その後、二人は湘水に身を投げ、水の神となった。

この古琴曲は二人の妃の悲しみを歌ったもの。いくつものバージョンがあるが、元となる歌は明代に作られたと考えられている。上海音楽学院の教則本の第一曲目。ハーモニクスが美しく、繰り返し出てくる「テーマ」が物悲しく響く。まずはこの曲で基本をじっくり学ぼうと思う。

(続報)実はこの歌には美しい歌詞がついている。歌詞もいくつか異なるバージョンがあるが、そのうちの一つを選んで、カラオケ風の動画を作ってみた。日本語訳は中国語修業中の管理人の個人的見解ですので、その点ご了承ください。

古琴を楽しむ~その一

そうだ、思い出した。あの時はまだ古琴を習い始めていなかった。当時二胡を習っていた日本の先生(古琴を含めた古典楽器の名手)が、ネット上で売られていた中古の琴(キン)を見つけて、突然「これよさそうだから買いなさい」とおっしゃった。確か12万円くらいだった。「高っ!」と思ったけれど、大先生の言いつけのまま購入した。

古琴が届いて、最初に弦を鳴らしてみた時、その音がすごくきれいでびっくりした。その後、日本におきっぱなしで、温度・湿度管理が悪いせいか、琴面がゆがんで平らに置けなくなってしまったけれど、その後数年経ってからシンガポールで習い始め、今ではすっかり古琴に「はまって」いる。そんな私にとって、日本のあの古琴は当地でネット上で買った廉価版古琴と共に、大切な宝物になっている。

今日久しぶりに古琴についてのブログを書いたのは、これから初心に戻って古琴を基礎からしっかり学ぼう、じっくり、ゆっくり楽しもうと思い立ったから。