弾き初めは『文王操』

1月2日。古琴の弾き初めは『文王操』。録音、録画しようとすると緊張するから、それはやめて弾くことだけに集中した。

最近はこの曲ばかり弾いているから、初めはひどく奇妙に感じられた旋律が、だんだん心地よくなってきた。第一段だけ……と思って練習し始めた曲だけれど、現在「ほぼ暗譜」に成功している。これから大事にして、忘れないようにしなくちゃ!

大みそかと元旦の二日間、『广陵散』を弾かなかった。「こりゃいかん!」と思って2日の夜中、あわてて弾いた。大撃沈。あせっていたせいもあるけれど、いつも普通に弾けていたところが、弾けない、いつもつっかえていたところは、もちろん弾けない……という惨憺たる結果。今年はこの曲(つっかえずに弾けても30分近くかかる)の練習方法をなんとか工夫しないと!

古琴さん、今年もよろしくお願いします!

ミニチュアおせち

明けましておめでとうございます🎍。

今年もどうぞよろしくお願いいたします🍊🍊(シンガポールではみかん二つが正月の定番)。

スーパーで紀文の「少量おせちパック」を買ってきて、形だけお正月っぽく「おせち」を食べてから、突然思いついて、その残りを使って、空いた容器の一つに「ミニチュアおせち」を作ってみた。「一味の瓶」と比べるとわかるけれど、容器は手のひらサイズ。伊達巻を虎柄🐯に切り切りこんだところがミソ。

なんだかとてもかわいくできたので、来年はおもちゃのお重箱を買って、本格的なものを詰めようかな……などと考えている。

で、本番はこちら。ミニチュアおせちを手土産に、Kちゃんちにでかけてごちそうになった、日本からの冷凍直送「北海道海鮮おせち」。

これに、キンメダイのお煮つけ(お頭付き)がついたセットだった。右下の袋入りのものはカニの甲羅に詰めた「カニおこわ」と鯖寿司と鮭寿司。おせちだけでお腹がいっぱいになりそうだったので、解凍しないで後日のお楽しみにした。

おせちはどれも薄味で、とてもおいしかった。薄味だから日持ちはしないけれど、最近、濃い味のものが苦手になっている私には、とてもうれしかった。

Kちゃんが録画していた大みそかの懐メロ番組を観ながら、「わあ、この人若い! 何歳何歳?」と、登場する歌手の一人一人の年齢をWikiで確かめながら、大騒ぎ。私より年上の人もいて、その若々しさにびっくりさせられた。

そこで、出た結論は、歌の人は呼吸器関係(だけでなく、身体自体も)を鍛え続けているから若い、ということ。だから、Kちゃんからの提案は、今年は、歌を練習するか、思いっきり肺を使う管楽器に挑戦するか、いずれかを目標とする、ということ。う~ん、両方とも苦手だな。でも、あの若さは見習いたい……。

あと、Kちゃん情報では最近の4K画像に対応(?)した特別のメイクがあるそう。それを手に入れれば簡単にあの若さが手に入る?と思ったけれど、テレビ画面を通して観ると効果があるけれど、実際にはどう見えるかわからないという問題があって、あきらめた。

 

 

 

【動画付き】『文王操』第7,8段

『文王操』の練習に一区切りをつけるために、記録動画を撮った。

私にとっては本当に「なんとも不可解な旋律」で、暗譜に苦労している。教則本で4ページの曲だから、なんとか暗譜できるはずの長さだが、最初に感じた、旋律に対する戸惑いが障害になっているのか、なかなか覚えられない。

この2週間、ほかの曲は『广陵散』以外、全く練習していない。今日からはほかの曲も弾く! そのための区切りの動画。

ほかの曲がすべて忘却のかなたに行ってしまったような気がして、今、すごく不安。大掃除も気になるけれど!

 

【動画付き】簡単折り紙サイドテーブル

細々と続けている折り紙活動。今年(2021年)の最後は、サイドテーブル。これで下のような「暖炉のある書斎」の風景が完成した。

あ、本棚を並べるのを忘れた! と今気づいた💦

で、最後のアイテムであるサイドテーブルの作り方。

みなさん、よいお年をお迎えください。

 

古琴日誌(5) 古琴と孔子

昨日も練習したのは二曲のみ。『广陵散』と『文王操』。

广陵散』は一日練習しないと、あちこちが頭から抜けてしまう。だから、ある意味、強迫観念に駆られて練習している。本末転倒の、あまりよくない状況。でも、一度弾き始めると、さまざまに変化する旋律がおもしろくて、「あ~、古琴っていいな!」と自分の世界に入っていく。

文王操』は先日、第一段の動画を撮った時には、「これ以上は学ぶのはやめよう」と思っていたのに(自己流で新曲を弾くことへの不安と、既習曲の復習をやめてしまうことへの危惧)、やはり第二段の練習を始めてしまった。旋律が「思いがけない変化」をするので、次がどうなっているのかワクワクしてつい見てしまうのだ。(しかし、むずかしすぎて、挫折しそうでもある。)

しばらくは、この二曲を練習するしかないか……。

今朝、ふと、ぼろぼろになった教則本を見て、別の曲を思い出した。孔子様の逸話がもとになっているという『韦编三绝』と言う曲。孔子様が『周易』という本を読んでいた時、あまりに何度も読んだので、製本に使ってあった紐が擦り切れ、三度も取り替えたという話が残っているそうだ。

これまでの人生で、辞書以外、ぼろぼろになるまで読んだ本って何冊あるかなぁ……。

折り紙六面体が開いてしまう件

以前投稿した下の動画に問題発生。「折った後なぜか開いてしまう」というコメントが寄せられた。

あらためていくつか作ってみたら、確かに締まりが悪いものがある。それを仔細に観察……。そして、原因らしきものが見つかった。

閉じた後、下の写真で←の付いている部分が「底」に平らについていないと、開いてしまうようだ。四枚目の写真のように、←印のある角(かど)が底の隅(すみ)にぴったり入り込んでいると、開きにくい。

互い違いに差込む直前
半分差込んだところ
全部差込んだところ
「窓」からのぞいたところ

ただし、それでも、構造上、上の三枚の写真で正面になっている部分はどうしても隙間(すきま)が空く。開け閉めが簡単、というのがこの六面体の長所であり、短所。正方形の折り紙を使って作った六面体だと、隙間もないし、開きにくいけれど、作り方が複雑なので、気軽に作るのはこちらがお勧め。

あと、上の写真で「底」になっている部分の対角線上の折り筋もしっかりつけると開きにくい。

この方法でも「まだ開いてしまう!」という場合は、またコメントをお寄せください。もっと研究してみます!

折り紙動画観てくださって、ありがとうございました!

 

久しぶりの古琴動画

最近、練習を始める前に、『文王操』の第一段を指と心のウォーミングアップ用に弾いている。開放弦が多いし、とてもゆっくりなので、指使いや音に注意しながら弾くことができる。それで、一昨日、一度ビデオに撮って、この曲(の原曲?)にまつわる孔子様のエピソードと一緒に動画を作ってみようと思い立った。

楽譜にして一ページ足らずなのに、なかなか最後まで止まらずに弾くことができず、結局10回目でやっと止まらずに弾けた。メロディーがとても覚えにくいから、最後まで練習するかどうかはわからないけれど、現在、「好きな曲チャート」上昇中。なんといっても、大好きな成公亮老師のビデオが見られるから!

高いけどおいしい酢重のお弁当

タイトルそのままのお弁当。25ドルだから高い。でもおいしい。

オーチャード通りのマンダリンホテルの中にある日本食屋さん。当ウェブ管理人一押しのレストラン。お店で食べる、六種のおかず(とデザート!)がついてくるランチが28ドル(2021年現在)だから、配送されるこの25ドルのお弁当は、酢重としては決して高くない。でも、今のご時世、お弁当を届けてくれるお店はたくさんあって、その中では一番高い部類に入る。(コスパがいいのは高島屋タンポポのお弁当😋)

メインはホッケの塩焼きと鶏のから揚げ。サーモンのエスカベージュも大きな一切れが入っている。付け合わせは金平ごぼうと厚焼き玉子、ほくほくしておいしいサツマイモ、それにかぼちゃが一切れと、大根のべったら漬けのような、塩漬けのような、ともかくすっごくおいしいお漬物。ワカメがたっぷりはいったお味噌汁もいいお味💛

実はシニア女子の管理人の場合、このお弁当はほぼ二食分になる。から揚げとサーモン、それにご飯半分は明日のランチ用にとっておく。それに納豆とインスタント味噌汁をつければ、「から揚げ定食」のできあがり! そう思ったら25ドルは全然高くない!

ティファニーからのプレゼント

街は例年通りにぎわっているようだけれど、つらい思い出があるこの祭りは好きではない。でも、今日はちょっと心が暖かくなった。

ティファニーからプレゼントをもらった! お店からプレゼントをもらったのは初めて。

お店の人がその場で開けて、見せてくれたけれど、家に帰って改めて「開封写真」を撮ることにした。中身は……

リースを「作る」キットと、チョコレート!(開封と同時に味見をしてしまったので、二つ欠けている……。)

それから小一時間かけて作ったリースがこれ。

折り紙で作ったティファニーの箱を加えたのが「ミソ」。針金とか適切な糊とかがなかったので、どの部品も不安定なのだけれど、この写真をティファニーの店員さんに送ったら、So pretty!  Simple but elegant! との評が返ってきた。ティファニーの箱には気づいてもらえなかったのかもしれないけれど、返事をくれるとは思わなかったからうれしかった。

もう今年もあと2週間で終わり。もう一息がんばって、なんとか元気で新しい年を迎えたい。

「照顾母亲」

昨日『聴読中国語』の36課を勉強した。そして、「照顾母亲」と題されたその文章に深く心を動かされた。

私は両親が早く逝ってしまったので、「老親を介護する」という経験がない。だが、十年以上、献身的な老々介護を続けた親友がいて、その姿をずっと見てきた。今、彼の心はどんなものだったろう……と考える。

この文章の最後はこう終わっている。

「在她勉强答应你为她洗一个澡的时候,你会通过自己的双手深切地感受到这曾经孕育过你的身体,已经是多么需要你去照顾!」

とても切ない。

自分が介護される側に近づいている今、感慨深い文章だった。