古琴独習について思うこと

最近YouTubeで、古琴を独習している人、独習したいと思っている人の動画やコメントをいくつか目にした。インターネットのおかげで、助けとなる情報はたくさん手に入れられるけれど、最初から完全に独習というのはとてもむずかしいだろうと思う

問題の一つは、変な弾き方を続けて、腱鞘炎とかになってしまうこと。独習していたわけではないけれど、私はレッスン開始後一年目の終わりにドケルバンという腱鞘炎になってしまった(家での練習をベッドの上で(!)やっていたからか?)。そして、結局手術をして、レッスン再開まで一年かかった。

でも、一方では、「この曲が弾けるようになりたい」とか、「音を聞いて心を落ち着けたい」とか目標がはっきりしていたら、そして、「お気にいりの先生の動画」などを見つけられたら、最初から独習でも古琴を楽しむことができるのではないかとも思っている。(今の私はこの「方式」に近い。)

『广陵散』の独習を始めて、もうじき1年経つ。一周年記念に45段全部を「通しで弾いた」ビデオを記録に残したいと思って、猛(?)練習中だが、20分越えのこの曲を暗譜で弾くのは無理。どうしても後半で集中力が切れて、自分がどこにいるかわからなくなる。

今日は管老師のお手本を聴きながら練習した。前半は「一緒に弾ける」ところもあって、気持ちがよかった。でも、28段からがやはりボロボロ。そして、老師と自分の弾き方が違っているところを新たに発見した。もう何か月も聴き続け、「習っている」のにだ!

独習するときには、常にお手本と比べて、軌道からはずれていないか確認すべしという、独習者の最大の心得を再認識させられた今日の午前の練習だった。

おもしろい現象の名前ベスト5

個人的ランキング第3弾(だったと思うけれど、忘れた……)。

かなり昔から、時々気になる「現象の名前」がいくつかある。いつかまとめておこうと思いつつ、今日まできてしまった。最近少し頭がぼんやりしてきたから、忘れないうちに書いておこうと思う。

5.デジャヴュ(デジャブ)
誰でも経験したことのある「デジャヴュ(既視感)」。フランス語のdéjà vu(すでに見た)が語源。「ここ、前に来たことがある」「こういう状況、前にもなったことがある」と感じるのだが、その事実は思い出せない現象だ。
これがなぜ起こるのか、説明はいろいろ試みられているらしいが、調べた限りでは定説はないようだ。個人的には、遺伝子に組み込まれた前世の記憶とか、人類の集合データクラウドからのダウンロード、命に係わる危険な状況・場所を知らせてくれる自然のメカニズムとか、オカルト的な理由付けをしている。いずれにせよ、ちょっと不吉な感じがするので、この現象に出会ったときは、「くわばら、くわばら」と唱えて「さりげなくやり過ごす」ことにしている。

4.ドッペルゲンガー
これには二つの意味があるらしい。自分自身の姿を見る一種の幻覚と、一人の人が同時に別の場所に姿を現す現象だ。よく、地球上には自分とそっくりな人があと二人はいるとか、ドッペルゲンガーに出会うと自分が(どちらかが?)死ぬといわれるけれど、いずれにしてもちょっと気味が悪い。
若かった頃、よく遊んでいた盛り場で、何人かの人に、行ったことのない場所で私を見かけたという話を聞かされた。結構近い場所だったから、ドッペルゲンガーとニアミスをしていたのかもしれない。こわっ!

3.シンクロニシティ
長い間、この言葉はオカルト的ですごくマニアックな言葉だと思っていたが、実は以外に一般的な言葉であることを最近知った。中には単に「偶然の一致」というような意味で使っている人もいるようだけれど、ユングの提唱したシンクロニシティ(よく「共時性」と訳される)という概念は、偶然の一致に「意味がある」ととらえるところが違うのだと思う。
個人的には「ああ、ロールキャベツが食べたいなぁ」と思ったら、観ていたテレビにロールキャベツが登場した……みたいなことがシンクロニシティの一番簡単な例じゃないかなと思う。それにどういう「意味」があるかはわからないけれど。

2.ゲシュタルト崩壊
一番有名な例は、文字を見ていて、その個々の部分がバラバラに感じられる感覚。例えば、多・今・若・を・ルなどがこの現象を起こしやすいと言われる。ただ、私は文字でこの崩壊を起こした経験があまりない。
私が小さい頃から、経験していたのは「鏡で自分の顔を見ていると、自分がだれだかわからなくなる」という現象。大人になってから、これも一種のゲシュタルト崩壊であることを知った。
これはちょっと危険で、精神が崩壊することもあるらしい。実際、子供の頃感じた恐怖は今もよく覚えている。だから、鏡を見るときは絶対見続けない、「あなたは誰?」という質問もしない。

1.ジャネの法則
第一位にした理由は、この名前を知った時「こんな現象にも名前があるんだ!」とひどく感心したから。簡単に言えば、「歳を取ると時間が経つのが速く感じられる」現象。
この名は発案者である19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネに由来する。このように感じられる理由は「50歳にとって1年は人生の50分の1に過ぎないのに、5歳にとっての1年は人生の5分の1だから」ということらしい。
なるほど!と納得できるようなできないような……でもこの法則は絶対あてはまる! 60歳を過ぎてから一年があっという間に過ぎていく! 本当にあっという間に!

『すぐ死ぬんだから』講談社文庫

最近ずっと目の調子が悪いのにもかかわらず、二日で読み切った。おもしろかった。

読後は、「帯」にある「痛快」というのとはちょっと違う、「達観」という言葉が頭に浮かんだ。夫の死後、夫に妾がいて子供までいたことがわかるという、かなりめちゃくちゃな状況にもかかわらず、主人公は生きていく。その妾や子供とある意味「いい関係」を保ちつつ(?)……。

ありえないなぁ……と思いつつ、こんな風に生きられたらいいかもしれないとも思った。最後に、主人公が息子の酒屋で始める「角打ち」の「女将」になることになったのが、うれしかった。でも、その最初の「客」が妾の子供だったというのは、私は嫌。

三回目のワクチン接種

すばやい! シンガポールは何でも即実行。少し前に、「ブースター」ワクチン接種を検討中……とニュースで言っていたと思ったら、昨日、高齢者対象に「ワクチン予約受付始まりましたよ」というお知らせがSMSで来た。そして、そのままMOH(健康省)のウェブサイトに行ったら簡単に予約ができて、近くのコミュニティーセンターで今日の午後、接種を受ける運びになった。

ちなみに、三回目のワクチン接種の「治験」のモルモットになる(悲壮な)覚悟はできている。若い人の前に年寄りがやるしかないんじゃ!

会場についたのが指定時刻2:00の10分前。すぐに「問診」的なことがあって、7分後には接種を受けていた。30分の「経過観察時間」も入れて、到着から40分ですべて済んだ。そして、出口では「お土産」までもらえた!

今、8時間くらい経っているけれど、夕方猛烈に眠たかったのと、ワクチンを受けたあたりが徐々に痛くなっていること以外は、今のところ異常なし。前回同様、副反応が少なくてすむといいけれど……。でも、今日の新聞には、「ワクチンで副反応がしっかり出たほうが変異種に対抗する抗体ができますよ」みたいな記事があった。ワクチン接種を推し進めるための記事だとは思うけれど。

ともかくも、「かかりにくくなる、かかっても軽症ですむ」ということが少しでも期待できるなら、受けたほうがいいかなと思う。ま、そもそも、この国では「ほぼ強制」だから、受けないという選択肢はないけれど。いずれにしても、ウイルス自体も、ワクチン自体もあまりよく正体がわかっていない(私には)わけだから自己責任で自衛するしかない(「しない」という選択も自己責任だけれど、そういう人は他人に移さないようにしてね~♬)。

【動画付き】金子みすゞ『折紙遊び』の連続折り

折り紙ドールハウスの「ネタ切れ」で、動画の投稿ができなくなっている。そこで、ずっと気になっていた、金子みすゞさんの詩に歌われている六つの折り紙作品の「連続折り」を自分なりに折ってみることにした。

疑問点はいくつか残っている。

一つは虚無僧から鯛の尾への変化。私は伝承の「はかま」をそのまま横にしたものを使った(鯛のしっぽって「くびれ」部分がしっかりあるように思うので)けれど、くびれ部分をX型にする折り方もあった(ウェブ情報など)。

X型の場合、この時点で、もっと折り紙を「ほどいて」、4倍の大きさで作ることも可能になる。その場合はこのあとの作品はどれも4倍の大きさになって、最初の虚無僧とバランスがとれない。でも、最後に一枚の紙に戻すのは楽。

もう一つの大問題は、最後のお狐さん。これにはいろいろ説があるみたい。定説もあるようだけれども、さらっと紹介されている写真しか見つからなかった。なので、少し前に考え出した(すでにある折り方だとは思うけれど)「狐のお面」を採用することにした。

金子みすゞさんの詩は著作権の関係で引用するのがむずかしいようなので、彼女の詩のすばらしさが伝えられないのが残念! ウェブとか書籍で公式に紹介されているものを参照していただきたい。

【金子みすゞさんの簡単な紹介】
大正末期から昭和初期を生きた日本の童謡詩人。28歳(数え年)で自死という道を選んだ彼女の生涯は決してたやすいものではなかった。死後長らく忘れられていたその作品が世に認められるようになったのは、1980年代のことで、その後、広く読まれるようになり、今ではその詩は小学校の国語の教科書にも取り上げられている。

『大胡笳』の復習終わった!

先日の『大胡笳』の復習開始のお知らせブログに♡マークを三つもいただいた! それで、張り切って練習して、6日後の今日、一応の復習が終わったので、ご報告をすることにした。

この曲はとても長いことに加えて、「ほぼ忘れていた」ので、最初が本当に大変だった。でも、半ば過ぎるころから、なんと、「思い出してきた!」それで、4日目くらいに一応最後まで楽譜を見ながら弾けるようになった。

それから暗譜を試みたけれど、これが大問題。何しろ、かなり年季の入った「記憶装置」だから、詰めても詰めても出ていく……。雑念が入ったりした時には、あれよという間にどこを弾いているんだかわからなくなる

ただひたすらに弾いて6日目の今日、行き詰まりを感じて、ふと思い立って、戴晓莲老師の動画を観直した。すばらしい。もっと早く観直すべきだった!

一年半ほど前まで習っていた先生の先生だから、彼女の弾き方を学ぶのならば、とりあえずOKだろうと思って観始めたけれど、習った弾き方とは微妙に違う。どちらの方法で弾くのがいいか?

今は独習中の身だから、自分の好きな方を採用する(偉そうに!)ことにして、一部戴先生方式に変えることにした。そのため、何度も動画を観ているうち、いろいろ直したくなって、今日は半日、といっても2時間くらい、徹底研究に費やした。

おもしろい! 戴先生の動画は「簡略版」だが、それでも13分ある。手元にある楽譜は多分その3割増しくらいか? おそらく20分近くかかるだろう。でも、この曲はテーマが比較的わかりやすい(異国の地に二人の幼い息子を置いて、故国に戻る母親の想い)ので、ある意味弾きやすい。

一応最後まで復習できたところで、本来はここから「弾きこむ」のだろうけれど、ルンルン気分の今は、次の『龙朔操』の復習に早くとりかかりたい……。厳しい先生の耳に入ったら、雷を落とされそうな話! でも、楽しいから弾いているんもん♪ 好きな曲をたくさ~ん弾きたいよお!

『大胡笳』の復習開始

最近ずっと、『广陵散』以外に練習していたのは、『离骚 』と『华胥引』のみ。古琴を弾く人はご存じと思うが、この二曲を弾くためには、ほかの多くの曲と異なる音程に調弦しないといけない。そして、私の古い方の古琴は弦を巻き取る「ペグ」(中国語の名前を忘れた)がものすごく固くて、調弦に時間がかかるし、指先が痛くなるので、一度変えたら数日は変えたくない。

だからこの二曲を必死で復習した。『华胥引』は私の持っている楽譜だと見開きの2ページに収まる短い曲だから、すぐ復習できた。問題は『离骚 』。楽譜で言うと9ページの長さ。おまけに「ほとんど忘れていた」。だから、復習に一週間以上かかった……。とても好きで、よく弾いていた曲だったのに!

そして、やっと昨日、別の曲の練習のために調弦を変えた。こうなると、『离骚 』はまたいつ弾くのかわからない。また忘れてしまうのだろうなぁ……。

今回の調弦で弾ける曲は『大胡笳』と『龙朔操』。二曲とも、異国に連れていかれてしまった悲劇の女性にまつわる曲で、『离骚』同様、よく弾いていた曲。

まずは『大胡笳』から取り掛かったけれど、昨日はまったく思い出せず、結局1ページの半分くらいの第一段を、「新曲を弾くように」練習したところで力尽きた。

今日は少~し思い出してきたけれど、やっと2ページ4段までという感じ。全部で12ページもあるから、この調子だと10日くらいかかりそう。嗚呼!

『广陵散』は一日でも弾かないと、すぐに頭から抜けることがわかったから、30分かかる通し弾きが欠かせない。おまけに30分「ぶっ通し」で弾くと、もう、細かい部分練習のための気力が残っていない。ほかの曲を練習するなど、もってのほか。だから、午前中の練習はそれでおしまい。(こういうのも本末転倒って言う?)

そんなことでいいんかいっ!!

ちなみに、『广陵散』も調弦の仕方が特殊。しかも、お手本としている管先生の動画中の古琴が普通より半音高めに調弦されている。だから、うちの二台ある古琴のうち一台は、それに合わせて調弦し現在、『广陵散』専用になっている……。

今日はこれからもう一度『大胡笳』の練習。午後やった4段まで、覚えているかなぁ?

いろんなブログに♡マーク

このブログは、バリバリ文系シニア女子が、『たった一日で基本が身に付く! WordPress 超入門』という本を読んで、文字通り見様見真似でウェブサイトを立ち上げ、脳の老化防止活動の一環として気の向くままに書き続けている。

ここでちょっとまとめておくと、サイト作成のために使っているプログラム(という名称でいいのだろうか)はWord Press、サーバーはXServer、そしてWord Press上で使えるプラグインという、一つの用途に特化した小さなプログラムのようなものをいくつか使っている。

そのプラグインの一つが、WP Ulikeというもので、ブログの最後に♡マークをつけて、読者から「おもしろかったよ」と知らせてもらう機能。

前置きが長くなったけれど、今日話したかったのはこのプラグインのこと。このプラグインの機能の一つに、過去のブログに♡マークがつくと、「このブログに♡マークがつきましたよ~」と教えてくれるというのがある。

そのお知らせが、今日10個以上になっていた! 少し前のブログだけれど、折り紙のブログや、日記風なブログ、苦労して書いた中国語のブログなど、内容はいろいろ。おもしろいと思ってもらえてうれしい~!

本当にありがとうございました!

そう頻繁には書けないのですが、これからもなんとか続けたいと思っています。どうか、また読みに来てくださいね!

最後になりましたが、毎回ブログを読んでくださり、♡マークをつけてくださるQ先生、いつもありがとうございます。多謝!

『広陵散』(全45段)を聴く

三人の名演奏家による、45段構成の『広陵散』。それぞれに個性のある、すばらしい演奏。このページで一つにまとめておいて、何度も聴き返そうと思う。

管平湖 (1897-1967)
1953年にこの曲を打譜してくださった。その譜を見ながら聴いていると、本当にていねいに弾いていらっしゃることがわかる。まるで「こんな風に弾きなさいよ」と教えてくださっているよう。

吴景略 (1907-1987)
指が古琴の上を自由自在に動き回っている。楽器と人と音楽とが完全に一体化しているような感覚。そして、自由! 自由! 何にも囚われることのない自由がここにある。

吴文光 (1946- )
曲を解釈し、それを表現するというのはこういうことなのか。切々と情を訴えるとはこういうことなのか。曲の意味をとらえること、感じることが大切であることを教えてくれる。

◆最初の二つ動画には画像がついていないので、本当に二人の演奏家によるものか、疑問を呈しているコメントもありました。確かに、文化革命の時期に、古琴の記録は多くが破棄されたと聞いています。そのような歴史的背景も含めて、耳を傾けたいと思います。

【動画付き】折り紙で寝室と書斎を作ってみた

やっとできあがったチャンネル登録者900人達成記念・感謝動画。ビデオがなかなか撮れなくて、ずいぶん時間が経ってしまった。それに、今回はなぜか「縦長画面」になってしまって、いつもと勝手が違う。それに、部屋があまりに乱雑で実写できず、動画中で本物との比較ができなかった……。

これであとは浴室とトイレを残すのみ。「折り紙のおうち」を置いているコーヒーテーブルの大きさの都合で、部屋のサイズ、レイアウトは少し変えざるを得ないけれど、全体の雰囲気はかなり実物に近いものができそう……と自画自賛、というか、自分を奮い立たせて、折り紙活動続行。