もう一つの小さな奇跡


これ、月です。

夜11時近く、窓に向かっておいてある古琴を小さな音で練習していると、ちらとカーテンの隙間から光が見えた。「えっ?」と思ってカーテンを開けたら、目の前にまばゆい光が見えた。白内障のせいか何でも3重(さんじゅう)に見えるので、とっさにはそれが何か認識できなかった。「月?」とは思ったけれど、この位置から見たことがなかったので、何度も見なおした。そして、月とわかってうれしくなって、部屋の光を全部消した。「月の光の中で古琴を弾きなさい」とだれかに言われている気がした。

でも、弦が見えない。それに、なんだかドキドキして指が動かない。暗譜していたはずのところも思い出せない。だから、しばらくぼんやりと月を見ていた。

今は、月はさらに高く上がっていて、左側には星も見える。すべてが3重に見えるのはすごくくやしい。でもきれい。とてもきれい。

思い出した、この月、別の角度から見たことがあった。何度も。悲しい悲しい月だった。今日の月は微笑んでいた。

(続報)後で調べたら、昨夜の月は月齢が16.9(満月が15)で、ほぼ満月だったことがわかった。あのまぶしさは満月の光だったのだ。そして、月の左側に見えたのは金星らしいことがわかった。当地はほぼ赤道直下で日本とは星の見え方が違うと思うけれど、日本語のサイトでは月の左側に明るく光る星は金星だと書いてあった。それにしても、眼鏡をかけても三重に見える私の眼で見えたのは奇跡。星をつくづく見るなんて、何年ぶりだろう!

中国語学習継続の危機

もう何か月も中国語のブログをあげていない。それどころか、中国語の勉強もこの数日していない。

原因はいろいろ。一つは3月の中国語検定試験が取りやめとなったため、差し迫った(次回は6月)受験勉強が不要(?!)となったこと。二つ目は学校が休校になったこと。宿題がないと家で勉強しないという、小学生レベルの生徒だからどうしようもない。三つ目は個人的な事情でやる気の維持がむずかしくなっていること。もちろん、世界的な(!)レベルでの事情もある。

そんなわけで、勉強がおろそかになっている。まずいなぁ……。

語学と楽器は毎日練習しないと確実に「忘れる」。この歳になると、毎日練習していたって、忘却速度に押され気味なのだから。実際、猛烈な速さで忘れているのがわかる。なんとかしないと全部忘れちゃうぞ! 今日はこれからなにがなんでも教科書を開く。ここで宣言すると、一応開くことは開くと思うから書いてみた「日記ブログ」。

思索時代


時々思うことがある。人類のこれまでの歩みを、狩猟採集時代、農耕畜産時代、工業(産業)時代、情報時代と分類した場合、5番目の時代は「思索時代」なのではないかと。あるいは、そうなるべきなのではないかと。これはある意味、原点への回帰と言えるかもしれない。思想家、哲学者たちがいろいろなことを考えていた時代への回帰。

いろいろなことを考えていた、というのはずいぶん平たい言い方だが、それ以外の言い方が見つからない。「人間は考える葦である」と言ったのはフランスの哲学者(そのほかにも「肩書」たくさん)パスカルだった。そう、人間は考える。ほかの動物だって考えてはいるんだと思う。でも、人間の思考能力はかなり高い。

個人的には、それがいいんだか、悪いんだか、わからない時もあるけれど。この思考能力を駆使して考えよう。しっかり考えたら、きっと「いい考え」が浮かぶ。きっと「いい方向」に歩いていける。そう信じたい。

 

防御は最大の攻撃

インターネットとスマートフォンで多くのことが動いている(ように思える)今の時代。人と人との接触はとても大事ではあるのだけれど、それを極力控えたほうがいいという事態になったからには、大いに引きこもり生活をエンジョイしたい。

そもそも引きこもりだから、人に会わないというのはほとんど苦にならない。最近はブログを書いたり、動画をアップしたりしているから、一方的な、自己満足的なアウトプットには事欠かない。それに、読みたい本、読み直したい本が家中に散乱しているし、インターネットも今のところ支障なく動いているから、インプットにも事欠かない。これ以上、何を望もうか!

というわけで、最近は中国語の勉強と古琴の練習、折り紙、読書、この四つの活動だけをひたすらやっている。あれ? 前と何の変わりもないぞ。なあ~んだ、何も変わっていないんだ。外に出た時だけ、前よりよけいに注意しようね。感染予防。「防御は最大の攻撃」とよく言う……あ、ではなくて、「攻撃は最大の防御」、だった。

でも、今調べたら、もともとは孫子の兵法の一つであるこの言葉は、実は「勝つべからざるは守るなり、勝つべきは攻むるなり」という武田信玄の言葉(?)の一部として有名になったらしい。信玄の言葉の全体の意味は「勝てそうもないのならとにかく守れ、勝てそうな戦いにおいては、攻撃こそが最大の防御になる」ということだ(とウェブに書いてあった)。

現状でのウィルスとの戦いは一般人としては、あまり攻撃方法がなさそうだから「守り」に徹するしか手はないような気がする。つまり、「防御は最大の攻撃」だ。人類はウィルスには負けない……と思う。

 

 

感動した歌

また完全なる逃避行動でYouTubeをだらだらと観ていた。そして、なぜ行き着いたのかわからないが、こどもの歌コンクールの動画に行きついた。

感動した。心が洗われる思いがした。

涙が出た。3回見直して、なお涙が出た。

このあとに観た「男性合唱団コール77(全員が86歳の世界最高齢合唱団の一つ)」という動画もすばらしかった。(何度かリンクをはろうとしたが、うまくいかないので、上記キーワードで検索をしてみてください。)

当ウェブ管理人は歌は大好きだが、歌うことに関して完全に「片思い」。音程をはずさずに歌うのが精いっぱい。本当に精いっぱいで、いわゆる「歌が歌える人」がうらやましい。

童謡はとても好き。とくに好きなのは『ふるさと』。歌うといつも涙腺崩壊。なぜなんだろう?

 

 

 

 

 

 

中検申込ネットでできた!

(今日は完全に日記ブログ)

ぎりぎりにまで先延ばしにしていた中国語検定の申し込み、ドタキャンの可能性を秘めつつ、締め切り間近の昨日、ネットで申し込んでみた。あまり好きではないクレジットカード払いだったけれど、なんとか申し込みができたみたいで、「おお、すごい進歩!」と感激。

というのも、こういうネットでの手続きはすごく苦手で、よく失敗するから。今回は「申し込み完了のお知らせ」というメールが来たから大丈夫なのだろうと思う。

試験というのは学生時代から大嫌い。今回も、試験は受けなくても、あとで同じ問題をレッスン中にやれば自分のレベルはわかるから、それでいいのではないかと、最後まで疑問を抱えつつの申し込み。

過去問をやってみると合格ラインすれすれ。試験は絶対緊張するからこのレベルにいくことは無理。とくにリスニングはテーマによってはまったく理解不能。でも、テーマがまったくわからずに中国語を聴き取る、という状況は実際にはほとんどないはずなので、固有名詞くらいヒントにくれればいいのに、といつも思う。

あ~、これから一か月、受験勉強かあ! 憂鬱……。

正直に言うと、それよりも『大胡笳』の練習したい……ZQ先生ごめんなさいっ!

最近ブログが滞っているのは、気持ちに余裕がなくなっているから。自分のこういう性格、情けないなあとつくづく思う。

 

 

朝の小さな奇跡

本棚の上に作った小さな「神棚」。神社でもらったお札(ふだ)を並べて、お塩やお米、そしてお水を供えているだけだけれど、朝のある時間、ほんとうに短い時間、居間のコーヒーテーブルに朝日が反射して、ちょうど神棚のあたりを照らす。これまでも光には気が付いていたけれど、季節のせいか、見上げる時間のせいか、いつも少し外れていた。それが数日前、ふと見たらちょうど神棚の上部を照らしていた。少し筋が入っているのは、カーテン越しの光だから。手を合わせて祝詞(のりと)を唱える。決して信心深いわけではない。困った時の神頼み。いつだって困っているんだ。

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

昨夜は常夏のシンガポールで紅白歌合戦を観ました。
ゆく年くる年を観ながら、来年が平穏な一年になるよう祈りました。

ほんとうに、今年も無事に送れますように。

まじめに生きようとするすべての人が、苦しまずに生きられますように。

 

ペシミストの独り言

気が付いたら、最後のブログ(中国語)を書いてからもう五日経っていた。原因その一は、心身のコンディションが悪いこと。でもこれは数年来のことだから、いまさら?と思う。心の不調はPTSDの残骸みたいな……かなり厄介。でも数年前よりはましになっている、と思って生き続けるしかない。身体の不調はこの八年間の虐待(?)と酷使と年齢のせいだから、ある意味しかたない。大好きなCH先生の言うところの「年齢による劣化」tear and wear…これらを背負って、死ぬまで生きるんだなあ。

原因その二、その三…とあるのだけれど、ここまで書いてひどく疲れた。頭痛もひどい。もともと悲観主義者だから、こういう日はよくある。こんな時は古琴を練習するに限る。最良の現実逃避!…と言ったら元も子もないっか。

インフルエンザが治らない

そう簡単に治るものではないのはわかっていたけれど、月曜日に急激に症状が悪化したインフルエンザが四日目の今日もまだ治らない。悪名高き(?)タミフルを飲んで、最悪の状況(高熱と激しい頭痛)は脱したのだけれど、時折襲ってくる激しい発汗、常にある疲労感、歩き回っている時のめまい、吐き気などなど、病気の症状なのか薬の副作用なのか、ちょっと判断がつかなくなっている症状がまだかなり強い。それに気力がない。思考が悪いほうばかりに行く。

横になっていないとかなりつらい。それでも、一昨日は中国語のブログを書いたり、昨日は「折り紙図書館」の蔵書を増やしたり、とかベッドの上でできることを少しやった。気持ちを紛らわす活動はぜったい必要。そうでないと狂ってしまう。

早く治りたい。早く治りたい。早く治りたい。