Bread and Street Kitchen in Singapore

久しぶりの「ちゃんとした外食」。マリナ・ベイ・サンズにある、有名シェフ(ゴードンなんとか……)監修のレストランで、「サンクスギビング・ディナー」。お店の人が心なしか偉ぶっている感じは相変わらずだったけれど、味は確かにおいしかった!

オードブルはコーンのタルトみたいなものと、ハマチのマリネから選ぶ。私が選んだのはハマチ。これは「あたり」だった。タルトのほうも一口食べてみたけれど、オードブルとしては重過ぎる感じ。

メインはもちろん、ターキー。もう一つの選択肢のお魚も魅力的だったけれど、一年に一度くらいはターキーを食べようかと。胸肉を円筒形に成形してセルクル(金属の輪)に入れて焼いた感じで、はっきりいって見た目はあまりよくない。でも、思いのほかやわらかく、しっとりしていて、うれしい驚きだった(実はターキーはあまり好きではない←今更言う?)ソースもマッシュポテトも、芽キャベツもおいしかった!

デザートはアップルかピーカンのタルト、アイスクリーム添え。かぼちゃのアイスを食べたかったけれど、ピーカンタルトがちょっと苦手だから、バニラアイス付きのアップルタルトにした。ちょうどいい甘さで、やはりいつも食べる、パン屋さんで買ったアップルパンとは違うな!と感心(当り前じゃ!)

以上三品のコースメニューが約80ドル。う~む。

でも、非常においしかったから、たまには「布のナフキンのお店」に行ってもいいよな!と思った。

百均クレヨンでまた絵を描いてみた

先日、少し前に描いた百均クレヨン画についてのブログを書いたあと、柴崎先生の動画をまた観ていたら、新しい百均クレヨン画の動画が出ていた。今度は「紅葉した木のある田園風景」。とてもきれいだけれど、むずかしそう……。でも、先生の声を聞いているうちに、また描きたくなった。

今回は先生の百均オイルクレヨン(18色)と比べて、足りない6本が結構「ポイント」だった(当地で手に入ったのは12色のワックスクレヨン)。とくに困ったのが草色。普通の緑を薄く塗ることで対応したけれど、むずかしかった。先生のおっしゃる通りにやる以外、どうしたらいいかわからないので、やはり「図工コンプレックス」から抜け出すのは大変そう。

でも、今日も楽しかった! 柴崎先生ありがとうございました!

(続報20220203)「クレヨン画ギャラリー」を作りました。よかったらご覧ください。その後の進歩(?)の度合いがわかります♪

【動画付き】折り紙でこけし

折り紙で簡単なこけしの折り方を考えた。髪の毛をつけたところが「みそ」。

(スタートボタンを押した後、すぐに動画が始まらなかったら、YouTubeボタンを押してみてください。)

百均クレヨンで絵を描いてみた

少し前にWatercolor by ShibasakiというYouTubeチャンネルを紹介した。相変わらずちょこちょこ見ている。最近ハマっているのは百均クレヨン画。柴崎先生の専門は水彩だから、クレヨン画の動画はとても少ないのだけれど、クレヨンは「図工」苦手人間にとっては鉛筆に次いで、とっつきやすい道具。4、5本あがっている動画すべてを見た。そのうちの一つがこれ。

で、先日久しぶりにダイソーに行ったので、柴崎先生「ご推薦」の百均クレヨンを探した。でも、同じものはなかったので、一番近そうな、「12色クレヨン(ワックス製)」を買って、さっそく動画を見ながら描いてみた。

空と海がまったく同じになってしまっているのはご愛敬。お手本とはだいぶ違う絵になったけれど、思いがけず、とても楽しかった! 図工コンプレックス、克服できるかなぁ。

今気が付いたけれど、「誰にも見られない」「通知表と関係がない」という点において、これは「図工」の課題とは違う。だから、コンプレックスとは無関係で楽しめる! 百均クレヨン万歳!……と、今日は「躁の日」? というか、今柴崎先生の動画をバックグラウンドで流しながら、書いているから、先生の声に癒されている。「癒しの日」!

実は上記の絵の制作過程は動画に撮ってあるのだが、こういうの(ほかの動画をお手本とした動画)って勝手に公開していいものか判断できず、未公開。「いろいろなことに挑戦する動画」チャンネルとかを作ったら、その時に考えよう。

(続報)このあと、百均クレヨン画に「ハマって」、2枚ほど描きました。苦手からは脱出できていないのですが、よかったらごらんください。
またクレヨン画を描いてみた
またまたクレヨン画を描いてみた

(続報20220203)この時から一年余の間に描いた6枚の絵を集めた「クレヨン画ギャラリー」を作りました。よかったらご覧ください。

【動画付き】折り紙で羽子板

久しぶりの新作折り紙動画。

12月の折り紙ミニチュアルームのための小物作りを始めた。12月に浅草で開かれる羽子板市。作ってみて、年の瀬が迫っていることをひしと感じた。

折り紙の羽子板の作り方はYouTubeにいくつもあったけれど、ちょっと工夫して、折り紙を半分に切った長方形の紙、一枚で、ハサミ・ノリなしで、本体と色違いの「柄」を作れる方法を考えた。千代紙など厚めの紙で作った場合は、裏で何か所かノリで止めたほうがいいけれど、そうでなければ本当に簡単に折れる。

11月の酉の市の熊手で作った縁起物アイテムを飾ってみたら、お正月用の飾りができた!

『广陵散』最終段見切り発車

とうとう「見切り発車」してしまった。おとといから、いったい何時間楽譜とにらめっこしていただろう? 古琴の弦をはじいていただろう?(かなりの長時間!)「減字譜」の一文字が解明するたびに喜びは味わっていたけれど、だんだんちょっと「しんどく」なってきたのも事実。楽しくなくなってきたら、弾く意味がない。

そこで見切り発車。

最終段の「旋律」はまだ聞こえてこない。25、26段もそうなのだが、ある程度の速さで弾かないと旋律にならない、ということに違いない(たぶん)。そりゃそうだ!

先生から「あなたには無理」(正確には、「この曲はあなたには合わない」)と言われた意味がわかった気がする。先生は技術的な意味でおっしゃったのかもしれないが、精神的にも無理。ただただ圧倒される。

なんだか、この期におよんで、大変な相手に片思いしてしまった……、

これまで実らなかったいくつもの片思いと同様、これも実らぬ恋に終わるのか?

今日は『渔樵问答』を数週間ぶりに弾く。

『广陵散』だめかもしれん

『广陵散』を独習するという無謀な挑戦を始めてから今日で36日目。一週間に一度くらいのペースで区切りのいいところまでを弾いて動画に撮る、というのを目標に、楽譜の解明を続けてきた。

でも、ここに至って、もうだめかもしれん

「楽譜の解明」というのは「弾ける」というのとは違う。要するに、「どの指を使って、どう弾けばよいか」ということに関して「一応の目安が立つ」ということだ。幸い、「お手本動画」が手持ちの楽譜の一つに非常に近い弾き方をしているので、それをもとに、別の二つの楽譜も参考にして、「一番よさそうな弾き方」を選んでここまで解明を続けてきた。

もちろん「解明」できない箇所もたくさんある。そういうところは「暫定的解明」を許して、先に進んできた。

だが、現在ぶつかっている問題は、また別の問題。旋律がまったくわからない

その問題にぶちあったのは最後の27段。その前の25、26段もものすごい「難所」で、結局お手本の「二倍の遅さ」で弾いて、さっき録音したところ。27段は昨日からがんばっているけれど、まったく歯が立たない。

お手本を何度聴いても旋律がわからない。「なんでこうなるかなぁ~」と思うような音の連続。意外性ありすぎ。それに、どこが切れ目なのかもわからない。混沌。不安がかき立てられる。

人の行きつく先はこんな世界なのだろうか?

でも、ここまできて投げ出すわけにはいかない(かな?) これからまた最初に戻って、「弾く」練習をするわけだから。弾き始める前に挫折するのか?

ほかの曲、全然練習していないから、どんどん忘れている。それも怖い。

でも、いま『广陵散』をあきらめたら、もうこの曲は永遠に弾けない。あと10年弾き続けるのはきびしいだろうから。

まさしく、独坐弹琴の毎日。ひとりぽっちで弾き続けるんだ。

 

折り紙と一緒に古琴を紹介してみた

古琴の練習ばかりしていて、折り紙活動休止中? それ以外にも、ちょっと精神不安定に陥っている、という理由もある。古琴を弾いていると、何もかも忘れるから、ついそっちに行ってしまう。完全な創作活動である折り紙は、今の私には荷が重すぎる……。でも、ちょっとさびしいから、これまでの折り紙動画の中から古琴が登場するものを選んで、それをバックに大好きな古琴を簡単に紹介する動画を作ってみた。

大好きな古琴と折り紙の組み合わせ。私にとっては最高のコンビなのだけれど、折り紙動画を期待して観てくださる方はがっかりかな? チャンネル登録、取り消さないでくだ~い! 次回はちゃんとした折り紙動画作りま~す!

『广陵散』独習動画(4)

当ウェブサイト管理人は完全にシングルタスク。一度に一つのことしかできない。だからこの一か月はほぼ「古琴独習プロジェクト」にかかりっきり。折り紙動画はお休み……。

そして、新プロジェクトは曲の後半に突入し、難易度は増すばかり。

ともかくも、最後まで楽譜に目を通すだけは通そうと、次回は第25段から始める(お手本動画が20段から24段までは省略している)予定。でも、すごくむずかしそう。加油!

 

『广陵散』独習動画(3)

少しずつ、少しずつ……。ていねいに、ていねいに……。今はまだ「解明」するのが精いっぱいだけれど、いつかきっと弾けるように。