古琴曲『鸥鹭忘机』

最初に習ってからもう少なくとも4年経っているので、メロディーはまったく記憶にない(!)が、この曲のもととなった『列子・黄帝』(秦の時代に書かれたと言われる道家の書物)にある故事を先生が話してくださったのを覚えている。

自分が習ったバージョンとは少し違いますが、管平湖老師の演奏をお聴きください。

《故事あらすじ》昔あるところに、いつも海鳥とたわむれて遊んでいる漁師がいた。ある時、父親(妻と書いてある資料もあった)が自分も一緒に遊んでみたいから、つかまえて家に連れてきてくれと言った。次に漁師が海に行くと、海鳥たちは空を舞うばかりで、決してそばに寄ってこなかった……というお話。人が無心でいれば、海鳥でさえ身を守る賢さを忘れて近寄ってくるということで、鸥鹭忘机という言葉は「警戒心のない状態」、さらには「下心なく無心でいれば警戒心の強い鳥でさえ親しんでくる(下心はだめだよ!)」といった意味になるらしい(中国語資料の解読にちょっと自信がありません……もう少し調べます)。

 

弦楽器練習用付け爪

付け爪に関するブログをしばらく書いていないが、その間、いくつか「実験」を重ねてきた。実は「アリアの爪」と「アリアの接着テープ」あるいは「アリアの爪」と「ダイソーの接着テープ」という二つの組み合わせを何度か試してみたが、三回ほど、比較的早い時期に左の写真のようなことが起きた。

写真では見にくいが、中央からちょっと左寄りのところの爪の先端が割れる、あるいは「欠ける」ことが三回続いた。練習量がとくに多かったわけではない。そこで、その後、「ダイソー爪」に「アリアテープ」という組み合わせにしてみたら、二週間経ったいまも、爪は健在。ただ、本当の爪と付け爪のあいだの汚れはひどい。以前にも書いたように、ここにゴミが入って接着剤につかまるともうとれない。「ダイソーテープ」はかなり厚いのでこの隙間が広く、細い爪楊枝のようなものを入れてある程度掃除ができるが、「アリアテープ」は無理。

「アリアテープ」にはもう一つ問題があって、接着力が強い分、外したときに、付け爪についた接着剤をきれいにとることがほぼ不可能で、そのたびに付け爪を破棄しなければならない。「ダイソーテープ」はきれいにとれる。難点は厚すぎること。でも、次回は「ダイソー爪」に「ダイソーテープ」という、おそらく最も廉価な組み合わせを試してみることにする。

ちなみに今この「ちょっと汚くて恥ずかしい爪」で練習しているのは、『流水』。そもそも、右手人差し指の爪がペラペラになって、付け爪をつけなければ練習できなくなった原因となった曲だ。耐えてくれ付け爪!

古琴曲『梅花三弄』

左手の指で弦に軽く触れて、右手の指で弾くのとほぼ同時にその指を離すという、いわゆる「ハーモニックス」奏法(古琴では泛音fan4yin1と呼ばれる)で主旋律を三回弾く。おそらくそのことが「三弄」の名の由来だろう。ウェブには、この三回が「冬の寒さを耐えて、つぼみからだんだんに花咲いていく梅の変化」を表しているという記事もあった。当ウェブサイト管理人が習っている先生は、「遠くからだんだん近づいていくのを表していると解釈している」と言っていた。人それぞれに解釈、表現できるのところがまた面白い。

もともとは笛の曲で、唐の時代の初期に古琴演奏家が古琴の曲に作り変えたと言われている。なんと千年以上の歴史を持っている?! 下のビデオは百年ほど前の琴譜に基づく、呉景略老师の演奏によるもの。管理人にはとても「中国的」なメロディーに聴こえる一曲だ。

 

古琴曲『龙朔操』

この曲はとても好きで、ずいぶん練習したはずなのに、すっかり忘れた。復習をまったくしていないから……。その理由(言い訳)は、この曲はほかの大部分の曲と「弦の調弦の仕方」が違うから。普通は正調といって、七本の弦を「ドレファソラドレ(西洋の音階で言うと)」に合わせるが、この曲は「緊五慢一(第五弦を高くして、第一弦を低くする)」にしなくてはいけない。だから、別の曲の練習を始めると、いちいち調弦し直すのが面倒(!)で復習しなくなる……すみません。言い訳です。

言い訳はともかく、まずはビデオをご覧ください。大好きな成公亮老师の動画がYouTubeで見つかりました! お若いときの演奏です。

この曲はあの有名な王昭君(おう しょうくん)の悲話に基づいて作られた。「有名な」といってもそれは中国でのお話で、日本では、むしろその悲話よりも、楊貴妃、西施、貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられていると言ったほうが知っている人が多いかもしれない。

「悲話」を簡単に説明すると、前漢の元帝の時代、北方民族、匈奴の君主が元帝に漢の女性を妻にしたいから誰か送ってくれと頼んだ(漢から話を持ちかけたという説もあり)。その結果、昭君が選ばれ、彼女は泣く泣く(長年、元帝の目に留まらずにいたため、自ら志願したという説もあり)お嫁に行った。匈奴の君主が亡くなったあとはその地の習慣に従い、義理の息子の妻となったが、これは漢族にとってはとても不道徳なことで、昭君にとっては二重の悲劇となった。

ここまでは歴史的な話で、のちに有名になったのは、昭君が選ばれた時の次のようなエピソード(どこまでが本当なのかよくわからないが)。

匈奴には「いい女」をあげたくないと思った元帝は、宮廷に仕える女たちの似顔絵を見て、その中から一番醜い女を選ぶことにした。ところが、実は、昭君は似顔絵師に賄賂を贈らなかったために醜く描かれただけだったので、旅立ちの儀式の時になって、本当は絶世の美女だったことを知った元帝はびっくり! 「あげたくな~い」と思ったが、時すでに遅しだった……というお話。元帝はあとで賄賂のことなどを知って、似顔絵師を処刑し、さらし首にしたというから、よっぽど腹が立ったのだろう。

古琴の曲には、遠い匈奴の国へ旅立つ昭君の悲しみ、おそらく馬に揺られていったであろう長い旅路、砂漠の真ん中で過ごす寂しい夜、聞こえてくる物悲しい音楽……そういったものがすべて込められているような気がする。

古琴曲『普安咒』

だいぶ前に習った曲だが、いくつかの理由でよく覚えている。一つははじめて習った「かなり長い曲」だったため。それから、呪文という意味の「咒」の字が使われていたため。実際は「呪文」というより「念仏」の意味だったが、すごく印象的だった。

実際に「普安咒」というお経があって、それをもとに作られた曲(明の時代という説あり)だとか、そのお経の唱え方を学ぶために作られた曲だ(琴譜の横に書かれていた梵字がそのような意味だったらしい)とか、このお経を作った普安禅師(1115-1169)というお坊さんが作った曲だとか、いろいろな説があるようだ。

このお経を聴いてみると結構すごい。何がすごいかと言うと、下のビデオで1:15あたりから始まる、同じ音の繰り返しの心地よさ。古琴曲とはまったく違う「メロディー」だけれど、思わず唱和したくなる。

大先生、張子謙さんの笛との合奏でお聴きください。

 

古琴曲『关山月』

今よく弾かれる古琴曲『关山月』は山東地方に伝わっていた民謡をもとに作られたと言われている。1931年に刊行された『梅庵琴谱』に、同名の李白の詩が付いた琴譜がある。

下のYouTube動画では一回目は古琴独奏、二回目が弾き語りとなっています。

比較的短い曲なので初心者レベルに位置付けられている楽譜集もあるが、簡単に弾けるかというとそうはいかない。特に、右手三本指をパラパラッと広げて弾く「轮」という奏法が多用されていて、その音をきちんと出すのが(当サイト管理人には)至難のわざ! さらに、李白の詩を歌いながら、本来の形で弾いてみたいなどという「野望」を持つと、完全に挫折する。でも、古琴の楽しみ方の一つである「琴唱」(弾き語り)を試してみるには最適だと思う。

李白の詩の意味はだいたい次のようではないかと思います。(管理人は現在中国語修業中)

明るい月が山の上にのぼり
藍色の雲海を照らす
風は遥か彼方からやってきて
玉門関に吹き付ける
漢の軍勢は白登山の道を進み
胡の兵は青海で様子をうかがう
ここは昔からの出征の地
戻ってきた者は見たことがない
兵たちは辺境の景色をながめ
望郷のあまり顔をゆがめる
こんな夜には高殿に
嘆息が途切れることがないだろう

(20210601)弾き語りの「野望」実現のために、歌の練習用に、歌詞を字幕につけた動画を作りました。よかったらご覧ください。(少し音が大きすぎたので、ボリュームにご注意ください。)

 

 

古琴曲『渔樵问答』

一般に中国古典十大名曲と呼ばれる曲の一つ。この十大名曲のうち当ウェブサイト管理人がこれまでに習ったのは、この曲のほかに『平沙落雁』『流水』『梅花三弄』の三曲。古琴曲ではあとかの有名な(!?)『广陵散』があるが、これはおそらくあと十年修業しないと手を付けることができないと思うので、ちょっと間に合いそうにない。

この曲の楽譜が最初に見えるのは明代に編集された楽譜集の中なので、その頃に作られたと考えられる。タイトルの通り、漁夫と樵(きこり)の対話がテーマ。昔の中国の多くの文人たちの理想は、自然の中で魚を採ったり木を切ったりして静かに暮らすことだったから、この曲は一つの理想を描いたものとも言える。実際、同じテーマで詩や絵もよく描かれている。

このビデオの中で演奏していらっしゃる龚一老师は、YouTube上で「古琴講座」をしていらっしゃる。中国語なので解説は95%理解不能なのだけれど、弾き方を見るのはとても勉強になる。この曲には30種類以上異なる楽譜があるそうだが、ここで使われているのは『琴学入門』にある、吴景略老师の演奏に基づいた楽譜。そのご本人の演奏もお聴きください。

古琴曲『忆故人』

この曲は『山中思友人』、『空山憶故人』などと呼ばれることもある。なんと、後漢末期の儒家、書家であり古琴の名手であった蔡邕(さいよう)の作という言い伝えがある。そうなると、1800年以上前に作られたことになる! 今一般に弾かれているのは1937年刊行の『今虞琴刊』という本に掲載された楽譜に基づいたもの。

この曲名の中の「故人」という言葉は、日本語のように「亡くなった人」の意味ではなく、長い間会っていない親しい友人という意味。月明りに照らされた山中を歩きまわりながら懐かしい友を思う気持ちが込められている曲だ。大好きな成公亮老师の演奏のものは、当ウェブサイト管理人には深い悲しみに満ちているように聴こえる。動画のサイトはリンクが貼れなかったので、音だけをお聴きください。

管理人は弾いているとどんどん悲しくなるのだけれど、先生に「悲しくなりすぎ」と言われた。そして論語の「乐而不淫 哀而不伤」という言葉を教えられた。「楽しんでも正を失わず、深く憂えても和を害さない」という意味らしい。平穏な心で弾けたらいいな!

古琴曲『桃园春晓』

6月に練習を始めた『醉渔唱晚』にまだ手こずっている。ただ「レーミーレ」と弾くだけなのに、ごくはじめのところに出てくる、おそらく舟の櫓をこぐ感じ(?)の繰り返し箇所がうまく弾けない。とても大事な箇所だと思うのに!

で、半分あきらめて、常に課題となっている「既習曲の復習」を始めた。そのうちの一つが、だいぶ前に習った『桃园春晓』。大好きな成公亮老师が打譜・記譜なさったもので練習させていただいた。彼の演奏も大好き。心がやわらぐ。

この曲は、タイトルからも想像されるように、東晋末期の詩人、陶淵明の有名な詩『桃花源記』に描かれた世界を題材としている。詩の内容は――あるとき漁夫が道に迷い、人里離れた村に迷い込んだ。そこには秦の時代に世俗から逃れた人々が、外界との接触を断って平和な日々を送っていた。漁夫は太守に知らせようと、道すがら印をつけながら戻ったが、その村を再び見つけることはできなかった――といった感じ。これがユートピアを表す「桃源郷」という言葉の由来となった。

古琴曲も「泛音」と呼ばれるハーモニックスが多用されていて、静かですがすがしい空気感が満ち溢れている。この曲を成公亮老师の演奏に合わせて練習したら、俗世界の苦しみを忘れられるだろうか?

古琴演奏台を組み立てる

東京滞在中に、古琴を練習するための机と椅子を購入した。自分で組み立てられるかすごく不安だったけれど、幸いパーツの数も少なくて、どれもあまり重くなかったし、工具も不要で、すべて手で組み立てられたので、30分以内で完成! ちなみに買ったのは『春風秋月』という古琴のグループがやっているお店。ウェブで見つけて電話をしたら、とても親切な先生が対応してくださった。これで、ご飯を食べるときに毎回古琴を食卓から片付けなくてすむ!